20年

今年は「画業20年」という節目の年ということで、記念画集が出版されたり、「全版画展」が開催されたりと、普段はあまり意識していない”歳月の流れ”というものを考える機会を与えられたように思います。
そこで、20年前というと世の中はどんなだったかな?と、ちょっと振り返ってみました―――

例えば、ほとんどの人が今や当たり前に使っている携帯電話。
当時、通信手段のメインはもっぱら固定電話やファックスでした。その頃の携帯電話はとえいば、形状は今の家庭用電話の子機のように大きく重く、電話会社からレンタルするものしかありませんでした。販売が自由化され、一気に社会全体に広がり始めたのは、更にその2年程後になってから(1993年以降)のことです。

小恥ずかしいのですが、デビュー間も無い頃スペインで撮った写真です。
20年・・・・・・やはり外見は大分変わるものですね(笑)。

携帯電話に「電話」以上の機能まで付いているのが当たり前の今、”ついこの間”とも思える20年前に思いを馳せてみますと・・・携帯が無かったその頃の”無かった感覚”は既に彼方へと遠ざかり、もはや思い出すことすら難しくはないでしょうか?

他にも、インターネット社会の台頭、ビデオはDVDへ、ブラウン管TVは液晶TVへ、などデジタルな世界での変化は勿論のこと、ファッションや髪型の流行なども、20年前を振り返ってみますと、やはり既に日々の生活の中で馴染んでしまった現在の”感覚”を当時に戻してみるのは、かなり難しいことばかりです。
本当に不思議なものですよね。

ことほど左様に、人の”感覚”というものは、時代の潮流に合わせて知らず知らずのうちに変わってゆくのかもしれません。私など、時代の変化にあまり大きな影響は受けたくないと、普段から思っているにも関わらず、です。

絵というのは、技術だけで描くものではなく、”感覚”が一番の礎となります。だからこそ、その時その時の自分の感覚に正直に描くほどに、表現もそれにつれて自然と変わってくるものです。
そして、描いた当時に抱いていた”感覚”と全く同じ”感覚”に立ち戻ることは、まず出来ないと思います。

今までの作品を眺めていますと、そんな画面の裏側にいる様々な”当時の自分”を、垣間見られるような気すらしてきます。すると、一点一点に改めて愛着が湧き、自分にとってとても大切なものに感じられるのです。

どうやら、過去の各時点で”最善だと思った表現方法”の積み重なりが、外からは”変遷”として目に映るのかもしれません。
しかし、絵の本質部分にある画家としての想いは・・・だからこそ、逆に「変わらぬもの」「変えられないもの」「変えてはいけないもの」を、ずっと追いかけ、求め続けてゆこうとしているのでしょう。

笹倉鉄平