イタリアでの個展
随分ご無沙汰をしてしまいました。
というのも、以前からここでもお伝えしておりましたように、イタリアで個展を開催する為、いつも以上に忙しく過ごしていたからなのです。
普段の日本での展覧会とはあまりに勝手が違い、何分にも事情が分りづらい遠隔地での開催の為、私もスタッフも準備でおおわらわの日々でした。
つまり、このページで途中経過や様子などをお話する時間的な余裕すら全く無かったのでした。
何はともあれ、その報告をすることに致しましょう・・・。
まずその開催地ですが、イタリア中央部のアドリア海側、マルケ州に在る”レカナーティ”という街で、有り難くも市長さんの後援と、市の多大なるご協力を得て、実現の運びとなりました。
会場は、街の中央に位置する市庁舎(下写真参照)と、街のシンボルである12世紀に建造された塔の中、そしてレオパルディ博物館(イタリアを代表する詩人レオパルディの詩作資料を主に展示している。詳細後述)との三会場に分け、それぞれ内容に沿った展示を行いました。
今回の展覧会のタイトルは、「Omaggio A Giacomo Leopardi (ジャコモ・レオパルディを讃えて)」というもので、今回の開催の全てのディレクションをして下さったビアンキ先生(前にこの頁でご紹介させて頂いてますよね)が、つけて下さいました。
ジャコモ・レオパルディ(1798-1837)という人は、イタリア人なら知らない人はいない程、有名な詩人であり、あのダンテ(「神曲」の)と並び賞され、実際”イタリアの至宝”と言う人さえいました。
ただ、残念ながら日本ではあまり一般的には知られていないようです。
日本での短歌や俳句のように、イタリアでは”詩”というものが、より身近に多くの人の心に深く根差していて、さらには芸術の一分野としての市民権をきちんと得ているように感じられます。
そんなイタリア人にとって、自国の誇る詩人の1人であるレオパルディが、生まれ育ち、詩作に没頭していたのが、ここレカナーティの街なのです。
中世の時代にヴェネチアからも多くの人々が、この街へやって来て移り住んだという歴史から、上品なヴェネチア様式の家並みが続き、市立美術館には、レカナーティと縁が深い中世の著名な画家であるロレンツォ・ロットの絵画が収められ、有名なオペラ歌手であるベニアミーノ・ジーリもこの街出身であったりと、ビアンキ先生曰く「ここレカナーティは、芸術の街としてイタリアでも特別な場所で、この地で展覧会を開くことは大変に名誉なことなんだよ。」と、教えて下さいました。
同時に、日本で出ている様々なガイド・ブックには載っていない、珠玉の街を知ることが出来、またもやイタリアという国の懐の深さに感心してしまった次第です。
さて、今回の展覧会では、イタリア流に則って事を進めてゆきましたので、面食らうことも多々ありましたが、”なる様にしかならない”ものですし、結局は全体の流れにまかせることにしました。
まず一般公開前日に、市主催のレセプション・パーティーがありました。
私も壇上で、たどたどしいイタリア語の挨拶をするはめにもなりましたし、その後は、出席者の方々と一緒に会場を見て廻ったり、ご挨拶をしたりと、なかなか目まぐるしく、慣れないことばかりが続きました。
レセプションには、市出身で、イタリア内閣の大臣職を数々歴任され、現在はレオパルディ博物館の館長でもあるフォスキ氏、同副館長のドナーティ女史、レオパルディの子孫である伯爵夫人、今回制作した個展目録(カタログ)に文章を寄せて下さった美術評論家のブガッティ氏(近代版画美術館、館長)、そして、イケメン(笑)の市議会議長さんなどなど、身に余る方々にもご列席頂いてお言葉を頂戴致しました。
更に翌日からは、市民の方々に自由に気軽に楽しんでもらう形で、多くの方がいらして下さいました。
他にも美術関係者、評論家、ジャーナリストの方々にもご来場頂き、絵を仲立ちに色々なお話を伺うことが出来ました。
また、イタリア国営放送「Rai」のテレビ取材が突然入ったり(あまりに急なことだった為あがってしまい、伝えるべき事をきちんと話せなかったような気がしたのは残念でしたが)と・・・・・・本当に色々な体験をすることとなりました。
以上、これらの詳しい様子や、現地の様々な方々への感想の逆インタビューなどを、我がアートテラスのスタッフが写真やビデオに収めて参りましたので、この秋から予定している各地での「イタリア個展、再現展」(?)の場で見て頂けるよう、早々に準備を始めております。
そして、こうして日本で『再現展』を行う予定があることをレカナーティ市の方々も、大変に喜んでくれていましたし、こういった事が、決して”堅苦しくない・難しくはない”文化交流につながるのでは・・・と思っています。
最後になってしまいましたが・・・今回の総監督を務めて下さったのが、私の尊敬する芸術家であるビンツェンツォ・ビアンキ先生です。
先生は、フィレンツェ・アカデミー(歴史あるイタリア国立の美術大学)の教授としてのお仕事や、ご自身の芸術活動などで超多忙を極めてらっしゃるにも関わらず・・・全ての事柄にご協力を頂き、御礼の言い様もない程お世話になり、頭が下がりっ放しです。
また、イタリアと日本での準備の諸々を間に入って、助け調整して下さった「イタリア.フィレンツェ.日本文化経済交流協会」の野村さん、松浦さんにもその感謝は尽きません。
更に、現地で実務一切を取り仕切って下さった制作会社の「PENTA2000」のジュゼッペさん達を始め、多くのレカナーティ市の職員の方々などなど・・・本当に多大な援助と協力を戴けたことへの感謝と有難さが、全てを終えた今、最も印象深く胸に残っています。
とにかく、大変は大変でしたが「やって良かった」と心の底から思える、様々な意味で”実”があり、未来につながる展覧会となりました。
そして、この個展の後は、次なる絵の制作の為に、南イタリアから英国へと足を延ばし・・・その辺りの話はまた次回に、ということに致しましょう。
笹倉鉄平