画家にとっての「顔」

このページの最新版がまだ年賀のままで気になっていたのですが、年明け早々版画「幸せな公園」の最終仕上がり時期と、また別の工房で制作中の版画「ボン・ビアッジョ」の仕上がり時期がたまたま続き、そしてもちろん新しい絵も描き始めていた為、この文章を書く余裕が全くない年始めを過ごしてしまいました。
版画制作ではだんだん仕上がりに近づく程、版画工房とのやり取り(色のチェックや「版」を新たに作って色を加えてもらったり・・・)が増え、意外と時間がかかるものなのです。また摺り上がった後には「検品」という作業があって、これもなかなか神経を使います。

シルクスクリーンという版画手法は一色摺っては乾燥させ、またその上に一色摺り重ねていくことを何度も何度も繰り返しますので(etcetera頁参照)、どんなに気を配っていても全部の枚数がパーフェクトに均一に摺りあがる事は、人の手作業が多ければ多いほど不可能に近くなるものなのです。
逆にいえばそれゆえ一枚一枚がほんの微妙に異なる人間らしい版画でもあるのですが、それでもある程度の基準を設けて、摺り上がった版画を一枚一枚細かくチェックして、不適当と判断したものをはじいていくのです。

その為に最初は、限定枚数よりも多めに摺り上げてありますが、このはじいたものは「信用」の為に必ず断裁処分をしています。
これらの検品作業が終了した一枚一枚にエディションナンバー(etcetera頁参照)とエンボスが入った後、最後に私自身がサインをして完成します。(通常、鉛筆でサインを入れるのは、炭素というものが最も長い年月に渡って変質せず残るものだからです。)
私の版画はこんな過程を経て皆さんの目の前に登場しているわけですが、「版画」そして「絵」というものが画家にとっての分身であり「顔」にあたるものですので、私自身が思い入れし、丁寧に扱って当然のことでもあります。

私にとって版画を制作するということは、できるだけ多くの人に作品を見てもらいたい(これは殆どの画家さんに共通する思いです。)、そして、より身近に楽しんでもらえれば・・・という気持ちからに他なりません。
また、作品の中に込めた気持ちが社会へ伝っていくことが、絵を通しての活動なのだと私は考えています。
できればそんな作品に全てを委ねて、私自身は表に出たくないところなのですが、応援して下さる方々に対して感謝の気持ちを直に伝えたいと思い、サイン会などにはできる限り顔を出しています。

しかし、私という「個人」が目立ってしまうことは嫌いなので、いつも印刷物などの顔写真はアップをひかえてもらい、できるだけ顔が小さく写っているものや、ピントがあまり合っていない写真をどうしても選んでしまうのでした。(笑)

笹倉鉄平

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