帽子に思う
残暑お見舞い申し上げます
日本各地で正に”酷暑”の日々でした・・・「地球よ、大丈夫か?」と、思わず声の一つもかけたくなるような暑さです。
こういう天候の時は、屋外で絵を描けるわけもなく、アトリエの中で、涼しげな風景に思いを馳せながら、そんな絵の制作にいそしむ日々を送っております。
ここの所、ニュースや天気予報では、「水分補給をしっかりして、外へ出る時は帽子を・・・」と、いった言葉を挨拶がわりほどによく耳にします。
実は私の場合、(夏でなくても)外に出る時はたいてい帽子を被っています。
特に、野外でスケッチや絵を描く時には、どんなに眩しくてもサングラスをかけるわけにはいきませんので(色が変わってしまいますから)、頭・首の後を保護する為のハット型の帽子は必需品で、少年時代から”被りグセ”が身についているのです。
旅先のヨーロッパまで帽子はわざわざ被ってゆかずに、現地調達することも多く(種類が多く、安価ですし・・・)気付けば、随分の数になってしまっており、中には雨に降られてヨレヨレになったもの、絵具で汚してしまったもの等、そういった思い出と共に自分へのお土産代わりになっている感があります。
また、私の作品をじっくりと見て下さっている方々には周知のことかもしれませんが、たまに絵の中に登場する自分の姿は、ほとんどが帽子を被っていますが、これはやはり自らが抱いている「絵を描いている笹倉鉄平」のイメージだからに他ありません。
しかしながら、サイン会などで公の場に立つ際には、室内のことですし、また、「皆様に対して着帽のままというのは失礼になるのでは・・・」と思い、被らないようにしておりました。
そんな中、先日、知人とたまたま帽子の話になった時、「自身が思い描く”画家”としての姿で人前に出る方が、むしろ自然なのでは・・・?」などと言われて、それも一理あると思い、最近では皆様の前に普段通りの帽子姿で失礼しております。
近頃は、帽子屋さんを街で多く目にしますし、ファッションとして楽しむ若い人たちも増えてきており、以前の様に街中でも悪目立ちすることも無く、目立つのが好きではない私にとって、とても喜ばしい状況になってきています(笑)。
昔から帽子には一種の思い入れがありました。
欧米の少し古い風俗写真などを見ると、多くの人が季節やTPOにあわせた帽子を被っており、それらが、なんとも洒脱で洗練されています。
また、フランス印象派の画家たちの屋外での写真などを見ても、やはり皆雰囲気良く帽子を被っています。
日本でも、大正~昭和初期の頃の写真などに見られる様な、”着物に帽子”姿やモボ・モガたちの帽子姿などを見るにつけても、なんともお洒落で、憧れの目で見ております。
もっともっと色々な意味で帽子が復権して欲しいものだと、密かに願ってしまいます。
普段あまり帽子に興味が無い方も、この厳しい日差し除けに、思い切って帽子を被って出かけてみませんか?
ちょっとした気分転換をしつつ、街を歩けるのではないでしょうか?
2007年 盛夏
笹倉 鉄平