“印象派”の話

北の方からは初雪の便りも聞こえるほど、肌寒い季節になってまいりました。
皆様はいかがお過ごしでしょうか?
私は、ここしばらくは何かと忙しくしておりますが、体調も良く元気にやっております。

先月の大阪での展覧会には予想以上に多くの方にお越し頂き、「初めて観る絵が多く楽しめた」との喜びのお声も異口同音に賜りまして、ありがとうございました。
描きためていた作品を公に展示することは、自分としても楽しみなことですので、嬉しく思っています。

ところで、少し前のサイン会でこんな質問を頂きました。
「絵の勉強の為に、模写などをした絵画ってありますか?」
う~ん、大昔、若い頃にはしたこともあったのですが、あまりに長い時間がたっておりましたので、咄嗟に正確なお答えをすることが、その時には出来ませんでした。

その後思い起こしてみたのですが、初めて”模写”というものをしたのは、中学何年生かの夏休みだったように記憶しています。
教科書に載っていた尾形光琳(後に”琳派”と呼ばれる、京都で生まれた美術一派の中心人物)の「紅白梅図(屏風)」でした。
画面中央に存在感たっぷりに描かれた、図案化された川の流れが「かっこイイ」と感銘を受けたからで、その金に墨で描かれていた川の模様を、自分でブルー系の色に置き換えて描いたことをはっきりと思い出せました。

続いて、心惹かれて模写した絵は、やはり教科書に載っていたアンリ・ルソー(印象派の中でも”素朴派”と言われる)の「カーニバルの夜」で、薄明かりの月夜の森をピエロとコロンビーヌに扮した男女が散歩する、とても印象的な作品でした。教科書の頁上に鉛筆で縦横四分割した線を引き、画用紙に拡大しながら水彩絵の具で描いていったのですが、絵から感じられる独特の”うれし悲しい感じ”が胸に宿ったことを憶えています。

特に宿題でも授業でもなかったですから、当時かなり気に入って模写をしてみた2つの絵だったのでしょう。

月日は流れ・・・今、京都とパリの絵で構成した展覧会の出展作品を思い浮かべれば、そんな双方の要素、すなわち京都生まれの”日本的なデザインや構成”とパリ生まれの”印象派”は、そんなに昔に自分の心に響き、以来脈々と頭のどこかに在り続けたのかなぁ・・・などと感じ入り、少々こじつけ的ではありますが(笑)、我ながら不思議な気分になりました。

以前この頁でも予告をしておりました、その”印象派”の話をここでしてみたいと思います。
学術的詳細な解説・説明は膨大ですし、簡単に掻い摘んでは出来ませんので、あくまで私にとっての”印象派への想い”とでもいったことになりますが、ご了解下さい。

“印象派”以前の絵画は、描写においてはリアリズムを追求し、その目的も写真の無い時代の記録物としても重要な役割を担っていたり、宗教への帰依の為の手段としてであったりと、もっぱらアトリエなど室内で生み出されるものであったのに対し、野外へ出て描くようになったのが印象派の始まりでした。

更に、目に見えるそのままを描くことよりも、”自分がどう感じているか”という、謂わば印象を描こうというのが、ご存知の通りその呼称の由来となりました。

また、印象派後期の画家たちは、対象の色彩や光を、色分解と点描や荒めのタッチによって表現しようとしました・・・と言っても、分かりにくいと思いますので、ついでに彼らの「光の表現」についても少し説明してみましょう。

皆さんも、色々な色を混ぜると濁った灰色になることは子供の頃に絵を描いた経験の中でご存知かと思います。特に、補色の関係にある色同士の赤と緑、黄と紫などは、二色だけでも濁った灰色になります。

そして例えば、曇り空の色は、”灰色をした光”の集合であって、灰色に塗られたものやそれ自体が灰色のもの等と比べれば、はるかに明るいものなのです。
そういった”光の色”を表現する手段として、前述の灰色を作る為に混ぜようと思った様々な色を、混ぜることなく分解して一色一色をキャンバスの上に置いてゆき(その一つ一つの”色の点”により、便宜上「点描」と呼ばれ、筆のタッチなど技法の側面から捉えられがちですが、それは色を分解して描く為の”必然”なわけです)、観る側の人の目と脳の作業の助けを借りることで、濁っていない自然の”光の色”をそこに感じてもらおうとしたわけです。

印象派の画家たちの作品に”光の――”というコピーや評論が多いのは、こうした斬新な色彩における光の表現への勇気ある挑戦への賞賛によるのではないでしょうか。

・・・ということで、”ついで”のお話が随分長くなってしまいましたし、思っていたよりも説明が難しく、結局よく分からなかったのではないでしょうか(汗)・・・下手な文章でごめんなさい。

話を”印象派”に戻しますと、彼等のそういった表現上の新しい取り組みや挑戦は、当時の画壇ではなかなか理解されませんでした。
しかしその後、徐々に評論家や専門家が認めだし、広く一般にその魅力を紹介するようになった途端、広い層に受け入れられ、今や印象派絵画は世界的にも大変な人気となっています。

そして、乱暴で私的な例えですが、印象派というのは、音楽でいうところのビートルズのあり方に似ているように思えてなりません。
ビートルズも、初めのうちはいきがっている若者の音楽と捉えられがちでしたが、果敢に新しい試みを続けながら次々に曲を発表して活動を続けるうち、評論家やクラシック界さえも無視出来ない存在となり、結果その曲の多くが世界中の人に愛され、口ずさまれ、ポピュラーソングの枠すら超える普及の名作となってゆきました。

新しいことへの、折れない「試み」の精神に感銘を受けると共に、どこか両者に共通性を覚えてならないのです。

自分は、コツコツと小さな試みを地道に重ねてゆく方法によってしか前に進めないという自覚が、多かれ少なかれありますので、印象派の画家たちやビートルズが成し遂げた大きな変革や偉業は、眩しくもカッコよく私の目に映り、若い頃からずっと大きな憧れを抱く存在であり続けているのです。

笹倉鉄平

2008

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