この20年を振り返って

今年は、早いもので私の「画業20周年」の年にあたります。

思い返してみれば・・・
画業に専心すべくドタバタとしていたのは、つい先日の様な気もしますし、逆に、20年と言わずもっと長い長い期間を延々と画家としてキャンバスに向かい続けてきた様な感覚も同時にあって・・・陳腐な言い回しですが、いわゆる”長いような短いような”としか言いようの無い、複雑な心境です。

実際20年といえば、当時生まれた赤ちゃんが今年成人式を迎えるわけですから、確実に長い時間が経過していることだけは否定のしようもありません(苦笑)。

最近サイン会などで、「初めて作品に出会ったのは高校生の時でした」とおっしゃる様な方が、お子様(既に割りと大きな)と一緒にご家族でいらして下さる度、驚きと共に”自分は果たして少しは成長できているのだろうか?”と、首をひねったりもしますが・・・デビュー当時の自分と現在の自分では、それが成長なのかどうかは別にして、少なくとも”物事の考え方”等には大人と子供ほどの違いがあるように思えます。

今回は、そんな出発点の頃の話を少しだけしてみようと思います。

*        *        *

それは、まだ30代半ばの頃・・・1990年のことでした。
イラストレーターとして、広告やパッケージや出版物の仕事に追われる日々の中で、短い隙間を見つけては時間を紡ぎ出して、自身で絵を勉強する為、試行錯誤を繰り返しながら作品づくりに取り組んでいました。

当時も今と同じで、ヨーロッパを旅する中で浮かぶイメージから作品を描くことが多かったのですが、「自分の絵の目指すものはどこか?オリジナリティは何か?」といった、自らの問いかけにぶつかっては行き詰ってしまうことが多々ありました。
そこで一度、描き貯めた作品で個展を開き、広く一般の方々に観て頂いて感想などを伺い、進むべき”表現の方向性”など、感触の尻尾だけでもつかんでみたいと思い立ちました。

そして、東京・表参道と青山通りの交差する辺り、吹き抜けのカフェがある<青山スパイラル・ホール>1階のスペースで個展を開いたのでした。

知人・友人をはじめ多くの方々に、色々な場面・様々な形でご協力を頂き、何とか無事開催出来たことは大きな喜びでしたし、心からの感謝の気持ちに溢れた、色褪せない大切な思い出となっています。

ちなみに、その時展示した作品をここに載せてみたいと思います。
あくまで自らの勉強の為だけに描いたものです。しかし、現在の作風へと繋がる、自分にとって思い入れ深い作品でもあります。

【カーニュ・シュル・メール】
ルノワールが晩年にアトリエを構えたという南仏の村を訪ねた際、壁面の織成す色調に魅力を感じて描いた作品。この頃から既に”帽子を被った女性(実際にはいなかった)”や、”犬”が画面に登場していたんですね。
【真冬の帰り道】
フランス中央部、ボーヌという町の何気ない街角に”想像で雪を降らせて、自分の理想の風景に”・・・という、今と同じ様なことをしていました。
そして、実際にはいなかった人物にやっぱり”帽子”が・・・(笑)。

そして、初個展で、まさか・・・自分の作品を買って下さる方がいらっしゃるなど、その時は思い付きもしませんでした。
ですから、勿論値札も付けていなかったのですが・・・にも関わらず、本人の戸惑いをよそに「譲って欲しい」という方が次々と現れ、作品は一枚また一枚と手元を離れて行きました。
自分の描いた絵をとても気に入って頂けたという事実が、とにかく嬉しくて天にも昇る様な思いでした。

そんな中、初めは自信も無く不安いっぱいの気持ちで臨んだ会期中、画家への転向を強く勧めて下さったり、迷いの中で力強く背中を押して下さる方々に、大勢出会わせて頂きました。

その時には、”将来、絵を描くことに専念できたら嬉しいが、今はまだ少しづつでいいからそっちの方向へ・・・”程度にしか考えていなかっただけに、文字通り”清水の舞台から飛び降りる”気分で、戻る道を断ち切って一気に画家に転向することを心に決めたのでした。(“絵だけで食べてゆく”ことは想像以上に容易でないことが、当時既に分かっていただけに、生半可な気持ちを捨て去る一大決心の時だったのです。)

更には、その思いがけない資金のおかげで、新しい作品制作の為にスペインへと旅立ち・・・半年後、「カダケス」という画家としてのデビュー作がここに完成したのでした。

・・・という所で、この続きはまた次回にでも。

笹倉鉄平

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