アイルランドと日本

この度リリースされた「セント・ステファンズ公園」は、アイルランドの首都ダブリン市内中心部に在る公園での作品なのですが・・・

“アイルランド”と聞いて、皆さんは何を連想されますでしょうか?
日本のテレビや雑誌などで取り上げらる機会は、他の欧州のメジャーな国と比べますと、割と少ないように感じます。

有名なところでは、ビールの”Guinness(ギネス)”や、そのギネス社が生み出した「ギネス世界記録(Guinness World Records)」いわゆる”ギネス・ブック”があります。
そしてギネスビールと縁があるのは、日本でも多く見かけるようなったアイリッシュ・パブ。そのパブ・カルチャーから生まれる音楽もありますし、スウィフトやジョイス、イェーツなど文学の分野でも著名な作家は多いです。

こうして改めて考えてみますと、どちらかというと物理的にも遠く馴染みの薄い国の部類に入ってしまうかもしれません。
ですが、意外なところで日本とも縁があるらしく・・・

例えば、日本国家「君が代」の初代の曲(現在のものとは違う曲)は、J.W.フェントンというアイルランド人の軍楽長が作曲したのだそうです。まだ国家の礼式曲が無かった時代に、軍楽隊が天皇の御前で演奏できるようにと「君が代」の歌詞に曲をつけたそうで、今の「君が代」が完成するまではフェントン版が国歌として演奏唱されていたということです。

また、東京・銀座の街並みは、T.J.ウォーターズというアイルランド人により、1872年の銀座大火後、日本政府からの依頼で設計されました。碁盤の目状の整然とした街路や、当時のダブリンの街並みから影響を受けたジョージアン様式の2階建て煉瓦街で、銀座を”文明開化の街”へと生まれ変わらせたということです。

どちらも、残念ながら既に現在は失われてしまっていて、実際に耳にすることも目にすることも出来ませんが、かつてはそんなご縁もあったということは、あまり知られていないようです。

個人的には、音楽の部分でとても親近感を覚えました。
音楽が常に人々の身近にあることを目の当たりにしましたし、ロックミュージックの歴史的な源流を辿ればアイルランド(ケルト)の音楽へと通じると謂われることにも、肯けるものを感じました。

ダブリンのテンプルバーという通りを歩けば、ズラリと並んだパブからは陽気な生演奏の音楽が毎夜聞こえ、角々にはレベルの高いアーティストの卵たちが、老若男女を問わず演奏する姿を見かけました。エンヤやU2など世界的アーティストも多く輩出しています。
ちなみに、フィギュア・スケート羽生結弦選手のショートプログラム曲「パリの散歩道」で、今話題のギタリスト、ゲイリー・ムーアは北アイルランドの出身ですし・・・。

伝統的な音楽にロック・アレンジをして演奏する若手バンド。”音のお土産”でその場でCD(自費出版?)を即購入(笑)

日本の小学校唱歌には、明治時代に入ってきたアイルランドやスコットランド民謡も多々あるそうで、長く愛唱されてきました。
西洋音階の通常7音階に対し、日本の音階とスコットランド・アイルランドの(ケルト音楽の)音階は5音階で成り立っており、曲調が日本人にも馴染みがあったからなのかもしれません。

日本から見れば、最西端の国アイルランド。逆に彼らからは極東の国、日本。
ファー・ウェストとファー・イースト、感性の部分で”遠いのに近い”何かが通じ合っているのかもしれませんね。

笹倉鉄平

2014

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