"習作”とは・・・?

この冬は近年稀に見る厳冬となりましたが、ここへ来て梅の便りなども聞こえ出し、ようやく寒さの出口が見えてきたようで、少しほっとしている今日この頃です。
あまりの寒さに戸外でのスケッチも出来ず、すっかり引き篭もりがちな毎日でしたが、それは逆に、制作にドップリと浸れて集中力が高まる貴重な時間でもあります。
この調子とテンションは、この先も持続させてゆきたいと思っています。

さて、以前から「習作とはどういうものですか?」という質問をよく頂きますので、今回はそれについて(現在のオンライン・ギャラリーのテーマと、もうすぐ始まる大阪での個展の展示テーマにも繋がりますので)、私の思うところを取り急ぎお答えしておきます。

一般的な説明として、"習作"とは「絵画、音楽、文学などで練習の為に作られた作品」とのことです。
エチュードとも呼ばれ、皆さんもきっと聞き馴染みのある、音楽の世界で言う所のエチュード(=練習曲)と同義のようです。
また、少し定義の異なる、エスキース(=スケッチや下絵)というものもありますし、単色の線や筆致によって対象の形状・陰影を描くデッサン(素描)というものもあります。
ですから、狭義的には、仕上がった完成作品に対して存在するのが"習作"や"エスキース"なのでしょうが、本作品の下絵をとることを"デッサンする"と言ったりもしますので、その定義を明らかに線引して述べるのは難しいようです。
しかし、せめて私の中でそれらがどういったポジションをとっているのかを、ここでお話してみることにしましょう。

私の作品制作へのアプローチとその過程は、毎作それぞれに少しづつ違っていますので、ひとつの完成作品に対し、その習作が一点のみとは限りません。
何枚もある場合もあれば(特にその作品の、想像で描く部分の比率が高ければ高いほど、習作数は多くなります)、見たままの風景の印象を描く作品では、キャンバスにいきなり描くこともあり、習作は逆に一点も存在しません。

また、描く習作の意味や在り方にも様々あり、直接的に風景を現地でスケッチして、それを基に作品へと転化させたもの、先に完成品の方がアイデアとして浮かびそれに添った資料として描いてみたもの、たまたま気に入った景色をスケッチしていたものが後から描きたいイメージにはまって結果的に習作になってしまったもの、絵画中に登場させたい人物や動物などを検討する為に描くもの、はたまた、イメージの補足の為に描くもの・・・などなど、ひとつの絵を完成させる行程の中で、習作やエスキースは色々なパターンで登場し、制作に役立っているのです。
いうなれば、制作上での自分の頭の整理の手助けを担う、覚え書き?ネタ帳?的な存在である場合も多く、中には、完成品のキャンバスと同寸の用紙に描いた下絵に、部分的に色を載せて色彩の構成をしてみたり、様々なメモ的な描き込みをしたものもあり、完成に近づくほどに段々と汚れ、相当グチャグチャな状態になってしまう為、当然それらは、完成後に即破棄されてしまう運命にあります(笑)。

つまり、私の"習作"というものは、人様ににご覧頂く為に描いているのではなく、あくまで制作の為、作品の完成度を少しでも上げる役に立つように・・・と描いているわけで、制作時の頭の中を覗かれてしまう様な、本人としては少々気恥ずかしい面もあるのです。
それらを展示したり、ホームページで公開したりするのは何故かと申しますと・・・かなり以前から、多くの方々に制作過程や制作風景を見てみたいとのご要望をお寄せ頂いておりますが、現実問題、それはなかなかに難しいことだからです。
そこで、少しでもその過程を垣間見られる具体的な方策として、これは最適かなぁと考え、習作の中で、展示に堪えうると思われるものをいくつか選び出し、こうしてお見せしてみようと、自分を納得させた次第です。

特に展示をご覧になる機会を持てる方々には、完成作品と習作の間の"行間"というのでしょうか?そこに在る描き手の意思や想いを想像しながらご覧頂けると、それはそれでまたおもしろい観方が出来るのではないでしょうか。

また、デッサンについては、若い頃に親しんだものなので、本当にたまにではありますが、初心を思い出すように・・・といった気分から徒然に描いています。

こうして、習作やエスキースやデッサンなどを描きながら、作品を制作してゆく過程で、未だに新しい発見や勉強につながる事柄にいつも出会います。その自分自身の未熟な部分を知ることが大切で、それが次の目標や新しい試みへのモチベーションへとつながっているように思えます。

笹倉 鉄平

2006年02月21日