愛川欽也さん、ありがとうございました

愛川欽也さんのあまりに突然の訃報に接し、未だ信じられない気持ちでおります。

私が初めてテレビ出演させて頂いた番組で、司会をされていらしたのが、愛川欽也さんでした。
口下手な私に、上手にインタビューして下さったことをよく憶えております。
今回、多くの方が追悼コメントされている通り、芯は強いのに、優しく心の温かい方でした。

そして、あまり知られていないようですが・・・愛川さんは若い頃、"画家になりたい"という夢も実はお持ちでいらしたそうで、とても絵がお好きな方でした。
かつて軽井沢に住んでおりました頃、私のアトリエをご訪問下さいました。開口一番「ああ、絵具の匂いってイイねぇ~」と、楽しそうにおっしゃっていた笑顔を今もよく憶えています。

個展の開催時には、有り難くもお祝いのお花をご夫婦名で頂戴したことが多々ございましたので、会場でご覧になった方もいらっしゃるかと思います。そんな風に、お気遣いも細やかなお人柄でした。

さて、もう20年近く前の私の画集に、愛川欽也さんより勿体ないようなメッセージをご寄稿頂きました。
以下、追悼の想いを込めまして、全文をこちらに掲載させて頂きます。

 

『鉄平さんの絵は人間の詩です / 愛川欽也(俳優)』

フジテレビの深夜に、ボクが司会をする「出たMONO勝負」という番組があります。二か月に一度の放送で、世界の素晴らしいもの、珍しいものを紹介する番組ですが、スタートしてから今年で10年になりました。
その中にはアートのコーナーもあります。世界の有名なアーチストの絵などを紹介するコーナーです。
番組で推薦するアーチストの絵を目前にすると、ボクの胸に画家を夢みたなつかしい青春時代が思い出されてくるのです。

高校に入学したその年、駅から学校へ向かう道の途中に、映画館ができたのです。ボクは学校よりも、その映画館に通うことが多くなったのです。
スクリーンの中にまだ行ったことのないフランスはパリの街が映っていました。そして、モンマルトルの丘の上では画家を夢みる若者達が絵を描いていました。
ベレー帽をかぶり、スカーフを首に巻いた彼らの姿にボクは自分の姿をダブらせました。
ボクはパリを描きました。それは、モンマルトルの丘に続く鉄製の手すりのついた長い階段や、パリのカフェのテラスに憩う恋人達でした。アルバイトでみつけた看板屋の仕事で画家を気取って絵を描いたこともありました。

やがていつの間にか画家になることから役者の道に魅かれていって、気が付くと俳優座をスタートに、この世界で40年の歳月を過ごしてきたのです。
そして今から25年ほど前のことになりますが、LPのレコードを出した時、ボクはその中にモンマルトルの丘と外灯をデッサンして入れたことがあります。随分昔のことになりました。

笹倉鉄平さんの絵に出会ったのは「出たMONO勝負」のスタジオでした。
「なんて温かい絵なんだろう」と、ボクはその絵にみとれました。ボクは笹倉鉄平さんのその絵の中で、母に甘えていた幼い頃の自分に出合いました。恋をしていた多感な青春を思い出しました。
温かさがボクを招き入れてくれたのです。

  鉄平さんの絵の中には灯りと音があります。
  その灯りは人のぬくもりを表す灯り。
  音は人々が生活をしている音なのです。
  鉄平さんの絵は人間の詩です。物語です。

笹倉鉄平さんには数年前初めてお会いしました。
鉄平さんをひと目見た瞬間、まさしくこの温かい絵はこの人の作品だと思いました。鉄平さんの表情や話し方の中からにじみでているのです。

その後、ボクは鉄平さんにお目にかかるたびに、鉄平さんの絵を見る時と同じように心がほっとするのです。
絵描きになれなかったボクは、笹倉鉄平さんの絵のようなドラマを演じたいといつも思っています。

(1996年発行「笹倉鉄平 画集」より)

シャントゥール 1993年 アクリル 18.0×14.0㎝
< 愛川欽也さんとの会話から浮かんだイマジネーションを描いた小品 >

私がパリで個展を開いた際にご報告をすると、東京でのその展覧会に、お忙しいスケジュールをぬってご夫婦でいらして頂き、我がことのように喜んで下さったことも記憶に強く残っています。
今年もフィレンツェでの個展から戻りましたら、再現する展覧会にお誘いしようと思っておりましたのに・・・・・・・・・

かといって寂しがってばかりいると、それこそ愛川さんに叱られてしまいそうな気が致します。
人を楽しませたいという想いを常に強く抱き、ご自分の信じられる道をまっすぐに進んでおられた、その姿勢を、表現者として見ならいながら、もっと精進せねばと改めて感じ入っております。

愛川欽也さんへ、
心からの感謝と哀悼とともに―――

笹倉鉄平

2015年04月20日