「食」の話

4月30日現在、個展開催中の四国、高知に来ています。
今回は現地で過ごせる時間的な余裕が珍しく持てましたので、これを書いています。
また、初めて来る土地でもありましたし、昨日は観光名所である土佐山と桂浜を訪ね、地元の山菜料理や新鮮な海の幸を食し、その美味しさに感激しつつ楽しいひと時を過ごしました。

こうして日本各地を訪ねる度に思うのは、地理や気候条件に裏打ちされ、それぞれに歴史的背景を持つ特徴ある食文化が地方ごとにちゃんと存在することと、その豊かさのありがたみです。
そして、本当の"豊かな食"というのは、どういったものだろう?・・・と考えてみますと、結局それは所謂(いわゆる)"ごちそう"の類いではなくて――昔から脈々と続いていて、その地のあらゆるものを育み反映させてきた土地柄豊かな食生活、すなわち「食の個性」を色濃く残すそれなのではないかと思ったりするのです。

先日、発表された版画「キァンティ」も、イタリア中部のトスカーナ地方での、そういった"大地からの恵み(贈り物?)"を日常の風景の中に並べて描いたものでした。
キァンティといえば、かの有名なキァンティ・ワインの生産地帯です。こんな絵を描くのですから、本人はよっぽどワイン好きなんだろうと思われるかもしれませんが、実はアルコールが苦手な私は、普段"飲む"こともほとんど無く、グラス一杯が精一杯なのです(笑)。

この絵には登場していませんが、私はパスタ(スパゲッティ、マカロニなど)の方がよっぽど好物ですので、イタリアでは、長期滞在になったとしてもあまり苦になりません・・・と、申しますか、実は日本のでも中国のでもアジアのでも、麺類全般が大好物だからなのですが。
海外から帰国した直後などは、うどんか蕎麦か(う~ん、お茶漬けも正直悩むところですが)を、とにかく大急ぎで食べるわけです・・・この瞬間は、自分が日本人に生まれたことを心底感謝していたりします(笑)。

さてさて、取りとめも無い"好物話"になってきてしまいましたが、少し戻しまして・・・。

近年、そのトスカーナでは「スローフード」なる言葉をよく目や、耳にします。(日本でも最近は聞きますよね?)
これは、『多くの現代人が知らず知らずのうちに「スピード」に束縛され、本来持っている人間くさい習慣や家庭内のプライバシーまでもが脅かされている状況や、没個性化が進む諸々の動き全般から、人間らしいゆとりある生活を守る為に、まずはそれぞれの食卓から改善を始めましょう』という趣旨の宣言と、それに伴って進められている運動のことを指すらしいです。(詳しく知りたい方は、WEBサイトでも紹介されています。)
そして、「スローフード=ゆっくりと食事をとる」のみに留まらない考え方に基づく運動なのだそうです。
つまり、時間的な効率や経済性を過剰に優先させると、「食」はどんどん均一化されてゆき、その影で個性豊かな郷土料理やその独自の素材などが、徐々に姿を消していっていることへの警鐘的役割を担い、世界規模の「食」の均一化の結果もたらされる、社会生活にも影を落としかねない"没個性"の流れに歯止めをかけることをも目指しているとのこと。

それを知る中でひとつショックだったのは、そういった郷土料理が消えてゆくことによって、その料理に独自に使用されてきた食材としての作物(=植物)まで絶滅に追い込む状況をも生んでしまうということ。
我々の食事情は、"種"の危機にまで及ぶという少し怖い事実。
そして、もしも世界中どこへ行っても、同じ様な料理ばかりになってしまったら・・・。なんて、有りえないとは言い切れないのかもしれません。
それぞれの国に残る、地方色豊かな様々な個性が、食文化のみならず、あらゆる文化や芸術を彩り、長い歴史の中で育まれてきました。
そういった個性や独自性豊かなものは、もっと大切に考えられ、守られるべきである事は自明の理です。

こういった事実を、それぞれがどう受け止めるかは自由なのですが・・・例えば「今日何を食べるか?」という日々の小さな選択。
無意識に行っていることが、いつのまにか要る物・要らない物を"選択している"ことに、遠い先っぽで繋がっている私達の社会。
一人一人のそんな無意識下での選択が、長い目で見ると社会の向かう方向を、微妙に、いつの間にか動かしているのです・・・。

とは言え、あまり大袈裟には受け取らないで下さいね。
もう少し身近な感覚で考えてみますと、つまり・・・食の楽しみとは、同じ食事をとるにしても、"何を食べるか"より"誰と・どんな雰囲気で"といった状況に大きく左右されるものですよね。
子供の頃の遠足で、良い空気と太陽の下で食べたお母さんの手作りおにぎりの味は、何よりも美味しかった・・・そういった事をちゃんと思い出せるうちは、我々は「食」に関して、正しい選択をしていけるのだと思います。
多くの人が、"幸せに食べられる食事の正体"を見失わないうちは、正しい「食」はきっと守られてゆくのだと信じています。

なにやら単純な話をわざわざややこしく話してしまったかもしれませんが・・・要は、「食事は、いい気分で食べるのが美味しい!!」と・・・いうことで。

笹倉鉄平

2005年05月06日