「ケルト」って何だろう

ふぅー、なかなか手ごわかった・・・。
何がって? 今、取り組んでいる絵のことです。
ようやく頭の中に漂っていたイメージを、大体キャンバスに定着させることができて、仕上がりがハッキリと見えてきました。
適切な表現ができませんが、今回の作品はかなり描き進めた段階に行き着くまで、何か胸騒ぎがおさまらない感じだったのです。
不安もあったので描き始めから随分ととばしていたのですが、そのお蔭で「のって」いけた気がします。
でもそのせいで、このページの更新も少し間があいてしまいましたが、あくまで本業は絵を描くことなのでお許し下さい。

では、すき間の時間を利用して前回の約束通り、途中だった「ケルト」について書くことにします。

今から約2500年ほど前、ヨーロッパ全域に広がっていたのがケルト人であり、彼らは文字を持たず、詩人の口伝えで自らの文化を後世に伝えていました。
死後は妖精たちと平和に暮らせることを信じていて、恐れることを知らぬ半神話的な人々でした。

民族の指導者はドルイド僧と呼ばれる僧侶たちで、教育者でもあり、また呪術や魔法を使って神々や妖精との間を取り持っていたとされています。
しかし政治的な社会構造には無関心だったために、他民族の侵略などにはもろく、強固な国家組織であるローマ帝国の侵入に対しては、どんどん北西へと追いやられて行きました。

この様子はカエサルの「ガリア戦記」に書かれていて、僕が昔これを読んだ時に「ケルト人は野蛮な民族」というイメージを持ってしまいました。

もちろんこれは(ケルト人の)敵側の記述なので、偏見に満ちていて当然なのですが・・・。
(当時はそんなこともわからなくて・・・。現代の社会でも似たようなことってありますよね。)
そして、その後もアングル人やサクソン人によってケルトの文化圏は隅っこへと追いやられ、現在では右図のように西端の一部だけとなったのです。
今回の旅で訪れたフランスの「ブルターニュ地方」は、一度英国側に逃れたケルト人たちが再びフランス側に戻ったとされていて、数年前に僕が訪れたイングランド西部の「コンウォール地方」と、国が異なるのに「そっくり」な印象を持ちました。
白壁にグレーのスレート葺きの民家が建ち並ぶ村で周りを見まわしながら、ふとコンウォールにいる様な気になり、仏語で書かれた看板を見て、やはりここはブルターニュ(フランス)なのだと思いかえしたりしたこともあります。

もちろん全く違うところも多くあったのですが、目が常にケルトの名残りばかりを探していたものですから・・・。

石で出来た顔や怪獣がこうして家の一部分にくっついて居たりして、
少しユーモラスで素朴な感じがします。(ヴァンヌにて)

 

妖精や魔法と共に生きた民族が実際にいたなんて、想像するだけでも楽しくワクワクしてきませんか?
遠い昔に読んで詳しくは覚えていないのですが、このコンウォール地方を主に舞台としたのが「アーサー王物語」で、聖盃を求めて円卓の十人の騎士や魔法使いマーリンが活躍する話し等々なのですが、そこに流れていた雰囲気が、映画「ロード・オブ・ザ・リング」と共通しているように感じました。
とにかく不思議なものが大好きなものですから「ケルト」には少しはまってしまいました。
それにU.S.A.では多くのアイルランド移民が文化を運んで、その影響は現在にも残っていますし。(そういえば「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラもルーツはアイルランド移民でしたね。)
今後機会があれば、本山であるアイルランドには行かねばと思っています。
でもまだまだ勉強不足で、ついこの間までギネスビールやウイスキーのふるさとだという事と、大好きなロックグループ「U2」ぐらいしか出てこない国でしたので・・・。
はまったおかげでヨーロッパの文化がもう一歩見え始めた気がします。

学生時代、勉学としての「歴史」はあまり好きではなかったのですが、大人になってからは「知る」ことがとても楽しく、それは脈々と現在へと繋がっているからだと思うのです。
東京を歩いていても、「江戸」という当時の美しき大都市の名残りを探してしまう今日このごろです。

今回はこれぐらいにして、さぁまた制作に戻ることにします。
完成までもう一息ですので・・・。

笹倉鉄平

2002年05月17日