アトリエから 2018一覧

話しかけたくなる・・・

新しい年も明けて、12年に一度の「戌年」を迎えました。
そんな年の初めには、やはり犬が居る新作をご覧頂きたいと思いました。

昨春訪ねたアメリカ東海岸ニューイングランド地方の典型的な家並を思い出しながら、自らの想像も交えて・・・"そこに居て欲しい"と思いついたパグ犬を主役にして描きました。

<新作「どうしたの?」部分アップ>
© TEPPEI SASAKURA / ART TERRACE


もう10年程前になりますが・・・いつも応援して下さる方々の間で『鉄平さんは、今はパグを飼っているのではないか』という噂があった、と聞いたことがありました。成程、短期間に何度か画面に登場させていたからなのかもしれませんが・・・今回の新作「どうしたの?」も、再びそんな噂がささやかれてしまいそうですね(笑)。

様々な犬種それぞれに異なる可愛さがありますが・・・特に、パグやフレンチブルドッグ、ボストンテリア等の、壁に正面衝突してしまったような"鼻ペチャ"系の犬たちは、ユーモラスな癒しを絵に添えたい時に描くことが多いです。
また、構想を思い描く折に閃く「ここには、こんな雰囲気でこの位の大きさのこんな色のワンちゃん(勿論ネコちゃんの時もあります)に、居て欲しい」といったイメージで描いている場合もあります。

当作では、可憐な花々咲く庭先という平和で穏やかな状況下で、なぜだか、困った表情という違和感から沸く"親近感"が画面に欲しいなぁと、思い立ってこの子を描きました。
そんな訳で、以前も今もパグ犬を飼ったことはないのでした。

もうかなり昔の話になってしまいますが、ケアンテリアという犬種を飼っており、絵の中にも時々登場させておりました。当時、長い旅に出る際はかかりつけの動物病院の施設に預けて、帰国後あわてて引き取りに行っていました。留守中の様子をお医者さんから聞けば・・・夜中は寂しそうに鳴いたり、お腹も壊したりしていたそうです。
仕事柄、現在も留守をする機会がかなり多く期間も長い為、犬を飼うことは我慢せざるをえない状態が続いているのです。

その反動なのでしょうか?
犬を色々な姿で絵に登場させてしまうことが多くなる心理は、そんな所にもあるのだと思います。また、今作でも正に描いている最中の絵の中のパグに、思わず話しかけてしまったりして・・・
そんな風に、自分なりの犬とのコミュニケーションを楽しんでいるのかもしれません。


笹倉鉄平

 

2018年01月16日

“アン”との出会いに感謝

昨春にアメリカとカナダの東海岸を訪ねたのには、主な動機が二つ程ありました。

ここのところずっと、主にヨーロッパの国々を舞台にした絵を描いておりました(たまに日本の絵もございましたが)。
そんな中、少し気分を変え、久々にアメリカ・カナダを新鮮な目で描いてみたい、と思い立ったことが一つ目の動機。

もう一つは、ずっと昔から訪ねてみたかった、文学「赤毛のアン」(著者はカナダの女流作家L.M.モンゴメリ)の舞台でもあるカナダのプリンス・エドワード島――それこそ中学生の頃からの憧れの地――を訪ねてみたかったから、でした。

「いつか行ってみたい」と夢見ていた場所を、なぜ長い間ずっと温存(?)していたのか? 
まだ真っ新な子供心で憧憬していた風景というのは、期待感や想い入れによる美化で、実際に訪ねると意外とガッカリ感を抱く、というケースが多いことは、皆さんも経験上ご理解下さると思います。
そういった類の怖さも心の片隅にあり、逸る気持ちをいなしにいなして、ようやく向かった憧れの地だったわけです。。

さてここで、文学「赤毛のアン」との出会いの話を少々。

(左)『赤毛のアン』シリーズ初版本が展示された「グリーン・ゲイブルス博物館」の書棚。
(右)その表紙をプリントしたポストカード


初めて読むきっかけとなったのは、中学2年生の夏休み読書感想文の宿題でした。図書館へ行き、たまたま手に取ったのが「赤毛のアン」でした。なぜ選んだかは、もはや記憶に残っていないのですが・・・恐らく推薦図書のようなものだったのだと思います。

物語としては、少女アンが、孤児で赤毛という生立ちや外見から抱えてしまったコンプレックスを、自身で克服しつつ成長してゆくというものです。(あまりに著名作ですので、あらすじは割愛します)

少女時代のアンは、大人が見れば日常の一部でしかない周囲の自然風景に、その豊かな想像力を駆使しつつ、"なんて素敵!!"と思える名前を次々に付けては愛でてゆきます。そうやって・・・楽しいことばかりではない日々の暮らしを美しいものに変え、愛情を注ぎながら、四季の美しさや生きることを心の底から楽しみ謳歌し、人間的にも成長してゆくのです。
そんな彼女の心の在り様に、当時とても魅了されたのでした。

大人になってから思い返せば――
美しさや良い部分を、自ら能動的に見つけよう・楽しもう、と自身の意識が変化するきっかけとなったのが「アン」との出会いでした。更には、まだ見ぬ外国への憧れを子供心に熾火のように残したこと等、画家としての現在の自分に"とても大切なこと"を、教えてくれた作品の一つだったように思います。
(自著「ヨーロッパ旅の画集」"あとがき"には、そんな類の影響に関する一節も書かせて頂きました)

さて、以下は思いっ切り当時の余談なのですが。
読み終えた後には勿論、図書館に返却に行きましたが、すぐ翌日には再び借りに行ってしまったほど気に入ってしまったこと、よく憶えています(確かその後も、何度か借りては返して・・・)。海外の文学とはいえ、中学生男子が少女を主人公にした物語にすっかりハマってしまった、という事実が気恥ずかしくて、大人になるまで「アン」のことは殆んど話したことがありませんでした。今、この歳になって、なぜか初めてカミングアウト(笑)しています。

以上が、「アン」や「プリンス・エドワード島」との、意外と大昔の出会い話。
では、現実に訪ねた印象はどうだったのか?・・・勿体ぶる程のお話ではないのですが(笑)、それは、また次回に。

笹倉鉄平

2018年02月23日

シャーロットタウンの町って・・・

さて、前回は小説「赤毛のアン」との出会いについて書かせて頂きました。今回は、物語の舞台であり、長年の憧れの地であったカナダのプリンスエドワード島を、昨春に初訪問した印象を簡単に・・・

物語が書かれた時代と現代の差、自分自身の変化などの要素を考えれば、当然といえば当然ではありますが・・・想像通り素晴らしかった部分と、当時抱いたイメージとは全く違った部分、その両方がありました。

カナダ東海岸のモントリオールから、小さな小さな飛行機(左右1席ずつ並び、操縦席まる見え、という飛行機が少々苦手な私には冷汗もののフライト)で、プリンスエドワード島の小さな飛行場に降り立ちました。

物語を始めて読んだ頃には、"小さな島の小さな町や村"といった印象と、全体にこじんまりとした規模のイメージを抱いていたのですが、実際には島自体が東京都の約3倍の面積とのことで・・・物語中の「アヴォンリー村(アンが少女時代を過ごす地)」のモデルとなったキャベンディッシュ村は、思っていたよりずっとずっと広大で解放感のある所でした。

上記の"小さな"という印象も手伝ってか、村中を簡単に歩き回れると思い込んでいたのですが、スケール感覚が間違っていたようです。公共交通機関の無い田園風景が延々と続く地を、本当に、本当によく歩きました――お天気が良かったので気持ちは良かったのですが。

それでも、「赤毛のアン」で印象的な記述で綴られていた「恋人の小径」をイメージした木立の中を行く道の周辺は、自然の美しさに満ち、正に当時抱いたイメージのままで心躍る散歩道でした。活き活きと語られていた物語中の描写を思い出しながら、懐かしいような、童心に帰るような・・・胸の奥がジンとなる想いで歩き回りました。

そして、物語の第1巻に2度ほど登場するシャーロットタウンは、実在の町であり現在も島の中心地です。
始めて読んだ時、未だ広い世の中を知らない初心な中学生だった自分にとって、シャーロットタウンは洗練された大都会というイメージの町でした。

島の田舎で自然と共に暮らしていたアンと親友のダイアナにとっても、シャーロットタウンは憧れの都会たる町だったはずです。2人が滞在時に身を寄せていた、ダイアナの伯母の家である通称「ブナの木屋敷」は、町の瀟洒な邸宅として描写されており、私にとっても同様に憧れのお屋敷でした。

今も立派な邸宅が立ち並ぶ高級住宅街(現在は別荘が多いらしいのですが)エリアを訪ねた後、たまたま通りかかって出会った景色が、新作「シャーロットタウン日暮れ前」です。

(左)シャーロットタウンの町中心部に在った「赤毛のアン」のショップ/(右)同、海岸付近の住宅街の様子


東京をはじめ近代的な大都会に目が慣れてから訪ねるシャーロットタウンは、もはや中学生当時に大いに憧れた"都会"の姿では勿論ありませんでした。むしろレトロさが心に響き、初めて見るのに懐かしさを覚えるような・・・良い意味で、当時抱いた憧憬のイメージとは違っていました。

そんな町の、いわゆる地元住宅街に在る公園で展開されていた野球に興じる子供らや人々の姿に、アンの時代にもあったであろう長閑な日常の暮らしや平和な空気を思い起こすことが出来て・・・いつの世にも通ずる優しく温かな感覚に不思議なほど心が満たされてゆきました。
そんな安らぎの時間や気分を、絵で伝えられればと願いつつ・・・。

笹倉鉄平

2018年04月03日