アトリエから 2015一覧

平安を願いつつ…

Season's Greetings

 

あわただしく全力で駆け抜けた2015年でした。
ここへ来て、"何とかやり遂げた"という充実感のようなものを、ようやく感じられるようになりました。

心が痛くなるようなニュースを見聞きすることが多いように思える、昨今。
こんな時世だからこそ・・・心が安らぐような、希望の光を心に温かく抱けるような、そんな絵を描いてゆきたいと、改めて強く思うのです。

皆様の新年が、明るく平和でありますことを祈りつつ・・・
私は例年の如く、年末年始も絵の制作を楽しみながら穏やかに、巡りくる新たな年を迎えようと思います。

笹倉鉄平

2015年12月22日

クリスマス・ツリーの飾り

京都市とフィレンツェ市の"姉妹都市締結50周年"を記念した巡回個展は、9月の札幌を皮切りに、東京・大阪と廻り、つい先日福岡にて無事に閉幕をさせて頂きました。
各地で多くの皆さまにご鑑賞頂き、色々な形で応援のお声も頂戴し、本当に嬉しく思っております。
またこの度、様々にご支援を賜りました大勢の皆様や両市の関係者の方々へ、心からの感謝を表したいと思います。

―――皆様、本当にありがとうございました。

思い返せば・・・一連の記念展覧会は、底冷えする2月の京都・高台寺さんで幕を開け、その後、6月初旬の時ならぬ猛暑に汗して準備をしたイタリア・フィレンツェでの開催を経て、気づけば、秋も深まり紅葉の便りを聞く季節になっておりました・・・なんと慌ただしく過ごしてきた2015年・・・街を歩けば、既にクリスマス・イルミネーションに彩られているとは・・・!

アドベントの窓辺
27.3×45.5㎝ 2015年制作 油彩

さて、先日発表されました「アドベントの窓辺」(ちなみに、今年の"アドベント=待降節"は、11月29日からだそう)。
作品へのコメントは、新作紹介の頁に譲らせて頂きますが、そこで出来なかったこぼれ話を少々。

画面右奥に描かれているのは、果物の"リンゴ"ですが、描いたのには理由がございます。
クリスマス・ツリーの起源は、中世ドイツと言われていますが・・・
当時クリスマスを祝う降誕祭の中で行われた劇中、アダムとイヴがリンゴを食べる件(クダリ)で、キリスト教で云う所の"知恵の樹"として登場していたことに由来するのだそうです(リンゴの木の葉は、冬には落ちてしまう為、常緑樹の樅の木が使用されたという)。

そして以降、ツリー自体がクリスマス行事に定着してゆく中で、"リンゴ"もオーナメントの一つとして残ったようです。
当初は本物の果実を使っていたのでしょうが、長期間に渡り飾るのは難しかったのか、いつしか丸い形の飾りが形骸的に用いられるようになりました。
画面左手前にあるような、現在よく見られるガラスやプラスチックで作られた球体の飾りは、リンゴの名残なのだそうです。
煌びやかな飾りでウキウキと心浮き立たせるクリスマス・ツリーも、宗教的な意味が、その飾り付けひとつびとつにきちんとあるようです。

「アドベントの窓辺」は、クリスマスのワンシーンの中で、人の心に宿る温もりを、"幸せや希望をもたらす光"の象徴であるキャンドルの灯りに託して描いた作品です。
皆様の心にも、そんな光が届きますように―――。

笹倉鉄平

2015年11月13日

“主役は光”の情景画展

≪フィレンツェ・京都 姉妹都市締結50周年記念≫として両市にて開催した展覧会を、再現する趣旨の巡回展が間もなくスタート致します。
今回は、久しぶりに北海道と九州でも開催できますこと、とても嬉しく思っております。

この度の記念展覧会を通じて、私が目指しておりましたテーマは・・・
日本人が元来持っている繊細な美意識やその優しさを、"日本的な"モチーフを多く宿す京都の風景の中に、"光の情景"として描くことで、両市の会場を訪れる海外の方々にも、日本や日本人へのより大きな興味・共感を抱いて頂くことでした。

また、この後の国内での巡回展では・・・
日常の忙しない日々の中では置き去りにされがちな、伝統的なものや自然・四季に対する日本人独自の愛着・・・"日本人で良かった"というような感覚に、想いを広げて楽しんで頂けましたら嬉しく思います。

*         *         *

伝統的な日本画の特徴の一つに、"光と影"をほとんど描くことなく、その美しい描線や情緒あふれる色彩や構図によって独特の美を創出する、ということが挙げられます(特に、浮世絵などを思い浮かべて頂けましたら分かり易いかと思います)。
そして、海外での高い評価も含め、皆が(もちろん私も)その独自性に敬意を抱き魅了されます。

ところが私の絵は、画家を目指した当初から「心安らぐ光」を描き出すことを、一貫したテーマとしてきました。
とても日本的な"京都"という題材をもってして、敢えて"光(と影)"を強く意識して描くことに挑んだのが、先日発表されました「水の奥の世界」であり「暖簾をくぐって」等です。

左:作品「暖簾をくぐって」 油彩 91.0×35.0㎝
右:フィレンツェのナルデッラ市長へ、昼食会の席で
記念作品として「舞妓夕景」(ジクレ)を寄贈

この作品について少し説明させて頂きますと・・・

お茶屋さんの玄関先、まだ暖簾はその内側にしまわれている状態です(上方にお札など貼ってあることから玄関内であることが判ります)。
つまり、まだ"お座敷"前の夕刻の時間帯であるわけです。
舞妓さんの背後の戸外は、まだ少し青さも残す自然光に照らされています。
外と中の二種類の"光と影"の狭間に舞妓さんの姿を置くことで、あやふやな時間帯の情緒のようなものを表現したかったのです。

通常いわゆる"美人画"では、このように逆光の中で顔を影にして描くことは無いのですが、敢えて影の中で描くことに挑戦しました。
光の表情を描き出す為には、影・陰影をどう描くか、が大切な要素だからです。

また、油彩のタイトル「暖簾をくぐって」は、両市の姉妹都市締結も50年目を越えて――"くぐり抜けて"、更なる次の50年、100年を一緒に歩んでゆきましょう、という節目での"幕開け"のイメージを託したつもりでした。
そしてその後・・・巡回展の記念作品としては「舞妓夕景」という、内容をストレートに表すタイトルと致しました。

一点一点それぞれの光の表現に、様々な想いを込めて描き上げた、両市の"光の情景"を集めた巡回展です。
ご覧頂き、楽しんで頂けましたら嬉しく存じます。

笹倉鉄平

2015年09月03日

フィレンツェに感謝!

とにかく、毎日暑いですね。
言ってみても仕方がないのですが、外に出るとどうしても、そう口にせずにはいられない今日この頃です。
地球温暖化・・・というより、もはや"灼熱化"?という位に感じてしまいます(苦笑)。

そう言えば、フィレンツェ展覧会での滞在時も気温は35℃一歩手前程まで達していて、とても暑い毎日でした(その頃の欧州は全体にやはり例年になく暑く、6月だというのにパリやロンドンでも同じ位に暑かったと聞き驚いたものでした)。
今や"異常"気象が"恒常"となりつつあり、季節の感覚も昔ながらの感覚とは違うと、認識しないといけないのかもしれません。

体調の管理には、皆さまも本当にお気を付け下さい・・・

*      *      *      *      *

さて、6/16付のこちらのページで、フィレンツェからの取り急ぎのご報告を致しておりましたが・・・
展覧会も、6/21をもちまして終了し、展示した作品たちも無事に日本へ戻って参りました。

現地で会場に居て頂いた係の方からのお話ですと・・・
イタリアの方が三割ほど、日本からの旅行者の方も多く一、二割ほど、残りは欧米アジア等から・・・と、世界中から観光でいらした方々にも絵を観て頂くことが出来、とても嬉しく思っております。

フィレンツェの会場では、2月の京都・高台寺さんでの展示よりも、京都を描いた作品を増やしました。
京都は、いわゆる"日本らしさ"を残している風景が多いですし、絵を通じて、海外の方が日本の美しさに興味を持って下されば・・・と思ったからです。

この度、ギャラリー・スペースを"会場に"とご協力下さいました「サンタ・マリア・ノヴェッラ」さんは、現存する世界最古の薬局として有名で、フィレンツェを訪れた人々が大勢立ち寄る、観光名所の一つにまでなっている所です。
今回、そういった意味でも良い場所をご提供頂き、大変にありがたいことでした。

かくいう私も、ずっと昔・・・30代にフィレンツェを訪ねた折に、初めて立ち寄らせて頂きました。
日本で言うところの"薬局"とは全く違う、立派で厳かな空気さえ漂う(800年の歴史を誇り、元々修道院として発祥した場所ですから然もありなんですが)、その佇まいと雰囲気に圧倒されて舞い上がりながらお土産を買ったと、記憶しています。

何しろ、14世紀には修道院の教会として使用されていた場所が現在は店舗として利用されているような、歴史ある立派な空間の中で、個展を開催頂けるなど・・・初めてここへ来た時には夢にも思っておりませんでした。

更には、今秋(11月頃と聞き及んでおりますが)、フィレンツェ・京都姉妹都市50周年を記念して新しいオーデコロンが、サンタ・マリア・ノヴェッラさんからお目見えするそうです。
その名もズバリ『Cinquanta(チンクアンタ)』、イタリア語で"50"という意味。
パッケージの横面に、私の絵が使われております。フィレンツェ、ミケランジェロの丘中腹に在る、両市友好の象徴である日本庭園「松籟庭園」を描いた作品です。

憧れを抱いていた老舗の、新しいプロダクトのパッケージに、自分の描いた絵が(小さいながらも)付いている・・・なんだか不思議な気分です。

こうして様々なご縁に恵まれ・・・フィレンツェは、私にとってやはり特別な街だ、と改めて感じました。
今回の滞在中に、ミケランジェロの丘の上から"屋根の無い美術館"と呼ばれる街の眺望を見渡していると、そんな感謝の気持ちがどんどん湧き上がってきました。

描き上がりホヤホヤの、油彩「フィレンツェ夕景」です。
スマホで撮りましたので綺麗に撮れていません。
現物は、秋から始まる巡回個展にて展示されますので、ご覧頂けましたら幸いです。


これまで様々な時間帯や季節に、何度もこの場所に足を運びましたが、中でも夕陽が沈む直前の光景は素晴らしく、胸を打つような美しさに街の全景が包まれます。

そう感じる人は多いのでしょう。上下に二段階になる展望台スペースとそこを繋ぐ広い階段は、大勢の人・人・人・・・でびっしりと埋まっていました。そして、皆が一様にウットリと夕陽を映すアルノ川を眺め、思い思いにカメラに収めています。

段々と太陽の位置は低くなって行き、山の端へと差しかかり下から欠けて、そのうち小さな点となり、フッと山影に完全に消えたその瞬間―――小さなどよめきと、どこからともなく拍手が起きて、どんどん広がってゆきました。まるで、コンサートや演劇の終演後に起こる喝采のように・・・
"良いものを見せてくれて、ありがとう"という、温かい気持ちを共有したひと時でした。

そんな感動の瞬間と、感謝と感慨と、自らの記念の気持ちも添えて、帰国後すぐに取りかかった「フィレンツェ夕景」という絵が、先日ようやく描き上がりました。
「ありがとう、フィレンツェ・・・」

笹倉鉄平

2015年08月11日

暑中お見舞い&”アドヴァイス”は出来ません(涙)…な件

暑中お見舞い申し上げます

2015年 盛夏

フィレンツェの南方に在るボルセナ湖にて

 

梅雨明け前から、猛暑があったり台風が上陸したり、と相変わらず激しい天候ですね。
帰国してからも、休む間も無く制作の毎日が続いておりますが、この後は暑さと戦う日々を迎えるわけですから、健康第一、無理をしないよう気を付けて制作に集中せねばと思っております。

皆さまも、ご自愛頂きながら夏の解放感を満喫し、つつがなくお過ごし下さいませ。

*     *     *

さて、このところ(たまたまだと思うのですが)何件か続けて、メールやサイン会場等で直にお伺い致しましたのが・・・
趣味で絵を描いている方、美大を目指す方、画家志望の方からの「一度、作品を見て欲しい」「(作品への)アドバイスやご意見を頂きたい」といった、私宛のご相談でした。

その度に、はたと回答に窮してしまいますので、この場を借りまして、以下伝えさせて頂きます。

私自身、絵を描きながらまだまだ学ぶことが多く、自問自答を繰り返しながら"自分の絵"を模索する毎日です。
美術教育者ではございませんので、間違ったアドバイスも致しかねませんし、未だ"道半ば"と感じている自分には"画家だから"という肩書きだけで、各々に適切な意見を差し上げる自信も無いのです。

かく言う私も過去には、絵の専門の方から助言を聞いた際、それを考え過ぎて煮詰まってしまい、筆が止まってしまったというような経験もございましたし・・・。

そんな私にご相談頂いた方には・・・
ご期待に沿えない話で、本当に心苦しく思いますが、ご理解を頂けましたら幸いに存じます。

笹倉鉄平

2015年07月23日

フィレンツェでの個展

先月末に出発し、作品の当地到着を確認したり、個展の準備などに追われておりましたが…
先日無事、開催の運びとなりました。
初日前日にはオープニング・レセプションも開いて頂き、京都市長をはじめ、フィレンツェと京都の多くの関係者にご列席頂きました。
個展会場であるサンタマリアノヴェッラ本店は、世界中から観光客が訪れる名所でもありますので、京都の情景画を通して、少しでも日本への興味を持っていただけたら…と願っています。

帰国は未だ暫く後になりますので、詳しくはまたの機会に…
ともかく、取り急ぎのご報告まで。

笹倉鉄平

フィレンツェでの個展会場となった、サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局
〈左写真〉会場入口手前に掲げられたポスター  〈右写真〉個展会場の一角

2015年06月16日

質問にお答えします Part.7

今回は、久しぶりの「お答えします」です。
暫く間が空いてしまい、その間に様々な種類の質問を様々な形で頂戴しておりました。

ただ、中には(自分の)絵に関する以外のことや、文章での説明が難しいお問い合わせなどもございまして、100%全ての質問へはお答えできませんでした。その点、お心広くご理解頂けますと幸いです。

さて、まずはお答えしやすい所で・・・絵画館の方へ頂戴しておりましたこんなお尋ねからスタートです。

Q.1 作品の中に犬がたくさん出てきますが、犬が大好きなんですか?中でも、どの犬種が好きですか?

A. ご指摘通り・・・はい、大好きです(笑)。ここ「アトリエから」の、2005年03月14日の回「ちょっと"犬"の話を・・・」には、詳しく書いておりますので、ご興味ございましたらご覧下さい。

好きな犬種につきましては・・・それぞれに違った魅力や個性があって選べませんし、犬だけではなく小動物の愛らしさには、結構簡単にヤラレてしまう方だと思います。
今流行りの"モフモフ愛好"とは違うのですが・・・見ているだけでも、心が軽くなります。それで、つい描いてしまうという側面もあるのかもしれません。

1990年代半ば頃、愛犬のビリー(ケアン・テリア)と・・・
ビリーは以前、絵の中にもよく登場していました。

Q.2  絵を描く時は、どんなことを考えながら描いているのですか?

A. その時に描いている一枚一枚に、毎回それぞれ違った"想い"を抱いて描いておりますので、それ以外のことは、出来るだけ頭から追い出すようにしています。

目の前に在る"描いている絵"に関することだけに思いを馳せながら、筆を動かすようにしているのです。
そして、そのまま集中が高まってゆき、気づけば、何も考えていない状態になっていた・・・というのがベストのようです。
(ちなみに、このホームページ等でも紹介されている、作品画像の下部に付されたコメントは、"どんなことを考えながら描いたか"を制作後に文章にしたものです。そちらを読んで頂けますと、分かりやすいかもしれません)

Q.3  (絵の中に)なぜ後姿が多いのですか?

A. これに関しましては、「やわらかな季節のなかで」という画集(2004年/求龍堂刊)の"あとがき"に、後ろ姿が多いことへの説明をしておりましたので、以下抜粋してお答とさせて頂くことでご容赦下さい。

 

ファコネのヴィーナス後姿(デッサン)  2003年 鉛筆 54.0×39.0㎝


『顔の表情などによって状況が限定されるよりも、そこに想像の余地が残されている方が、自分自身好きだからなのだと思う。この石膏デッサンのアングルでもそうだが、その表情が見え難い角度からの描写や、はっきりと分からない対象を、より描きたいと思ってしまうせいだろう』

そして、同じ文章の中では更に、水辺や水面を数多く描いているのも、水の表情が持つ"あやふやさ"に魅かれているからだ、と書いています。
・・・どうやら、カッチリと決められているもの、答が一目瞭然なもの、等よりも、想像をかきたてられるような曖昧な要素がちりばめられているものを描きたくなってしまうようです。

Q.4  90年代の作品は、描きたい絵を描いておられましたが、最近は時代に合わせて描いておられる様に感じます。少し画風が変わってきたように思います。時の流れでしょうか?

A. 画家になってから今現在まで、常に"描きたい絵"ばかり描いてまいりましたので、この問いを拝読した折、初めは???となってしまいました。と、申しますのも、絵を描く時には「描きたい」という想いが湧かない限り、描く意欲もおきませんし・・・そもそも、画家に転向した第一の目的が"描きたい絵を描く"ことでしたので・・・

また、"時代に合わせて描く"という描き方での作品が、正直どういう絵のことかもちょっと想像できませんし、逆に自分にはとても難しいことのように感じてしまいます。

時勢も環境も・・・確かに世の中は、時間の流れと共にドンドン流れて変化し続けています。
しかし、自らが自分の絵に求めている根っこの所は、この25年間一切変わることなく、その「原点」からはきっといつまでも離れようがないのだと思うのです。

勿論、絵を観て下さる方の感じ方も十人十色・百人百様ですので、どのようなご感想をお持ちになるかも色々あっていいのだと思います。

Q.5  「光」は、たき火、ろうそく、電球、蛍光灯、LEDへと進化しました。21世紀のLEDに輝く生活を、絵、版でどのように表現されるでしょうか。

A. LEDの照明は、"省エネ"でありながら明るい光を人々にもたらす素晴らしい発明だと思います。
ですが、世の中からたき火や蝋燭が無くなってしまうことはないと思いたいですし、その揺らめく明かりにいつも心魅かれます。

「光」は、人の心に希望を灯すものとして、常に私の絵にとって最も大切なものです。そういう意味では、人工の光のみならず、太陽光にも勿論同様に魅せられています。
これからも、様々な「光」や「灯り」を、様々な表情で描いてゆきたいと思っております。

取りあえず、今回は以上です。

笹倉鉄平

<スタッフ注:掲載している質問につきましては、お問合せの内容部分のみをそのまま抜粋させて頂いております。>

2015年05月12日

愛川欽也さん、ありがとうございました

愛川欽也さんのあまりに突然の訃報に接し、未だ信じられない気持ちでおります。

私が初めてテレビ出演させて頂いた番組で、司会をされていらしたのが、愛川欽也さんでした。
口下手な私に、上手にインタビューして下さったことをよく憶えております。
今回、多くの方が追悼コメントされている通り、芯は強いのに、優しく心の温かい方でした。

そして、あまり知られていないようですが・・・愛川さんは若い頃、"画家になりたい"という夢も実はお持ちでいらしたそうで、とても絵がお好きな方でした。
かつて軽井沢に住んでおりました頃、私のアトリエをご訪問下さいました。開口一番「ああ、絵具の匂いってイイねぇ~」と、楽しそうにおっしゃっていた笑顔を今もよく憶えています。

個展の開催時には、有り難くもお祝いのお花をご夫婦名で頂戴したことが多々ございましたので、会場でご覧になった方もいらっしゃるかと思います。そんな風に、お気遣いも細やかなお人柄でした。

さて、もう20年近く前の私の画集に、愛川欽也さんより勿体ないようなメッセージをご寄稿頂きました。
以下、追悼の想いを込めまして、全文をこちらに掲載させて頂きます。

 

『鉄平さんの絵は人間の詩です / 愛川欽也(俳優)』

フジテレビの深夜に、ボクが司会をする「出たMONO勝負」という番組があります。二か月に一度の放送で、世界の素晴らしいもの、珍しいものを紹介する番組ですが、スタートしてから今年で10年になりました。
その中にはアートのコーナーもあります。世界の有名なアーチストの絵などを紹介するコーナーです。
番組で推薦するアーチストの絵を目前にすると、ボクの胸に画家を夢みたなつかしい青春時代が思い出されてくるのです。

高校に入学したその年、駅から学校へ向かう道の途中に、映画館ができたのです。ボクは学校よりも、その映画館に通うことが多くなったのです。
スクリーンの中にまだ行ったことのないフランスはパリの街が映っていました。そして、モンマルトルの丘の上では画家を夢みる若者達が絵を描いていました。
ベレー帽をかぶり、スカーフを首に巻いた彼らの姿にボクは自分の姿をダブらせました。
ボクはパリを描きました。それは、モンマルトルの丘に続く鉄製の手すりのついた長い階段や、パリのカフェのテラスに憩う恋人達でした。アルバイトでみつけた看板屋の仕事で画家を気取って絵を描いたこともありました。

やがていつの間にか画家になることから役者の道に魅かれていって、気が付くと俳優座をスタートに、この世界で40年の歳月を過ごしてきたのです。
そして今から25年ほど前のことになりますが、LPのレコードを出した時、ボクはその中にモンマルトルの丘と外灯をデッサンして入れたことがあります。随分昔のことになりました。

笹倉鉄平さんの絵に出会ったのは「出たMONO勝負」のスタジオでした。
「なんて温かい絵なんだろう」と、ボクはその絵にみとれました。ボクは笹倉鉄平さんのその絵の中で、母に甘えていた幼い頃の自分に出合いました。恋をしていた多感な青春を思い出しました。
温かさがボクを招き入れてくれたのです。

  鉄平さんの絵の中には灯りと音があります。
  その灯りは人のぬくもりを表す灯り。
  音は人々が生活をしている音なのです。
  鉄平さんの絵は人間の詩です。物語です。

笹倉鉄平さんには数年前初めてお会いしました。
鉄平さんをひと目見た瞬間、まさしくこの温かい絵はこの人の作品だと思いました。鉄平さんの表情や話し方の中からにじみでているのです。

その後、ボクは鉄平さんにお目にかかるたびに、鉄平さんの絵を見る時と同じように心がほっとするのです。
絵描きになれなかったボクは、笹倉鉄平さんの絵のようなドラマを演じたいといつも思っています。

(1996年発行「笹倉鉄平 画集」より)

シャントゥール 1993年 アクリル 18.0×14.0㎝
< 愛川欽也さんとの会話から浮かんだイマジネーションを描いた小品 >

私がパリで個展を開いた際にご報告をすると、東京でのその展覧会に、お忙しいスケジュールをぬってご夫婦でいらして頂き、我がことのように喜んで下さったことも記憶に強く残っています。
今年もフィレンツェでの個展から戻りましたら、再現する展覧会にお誘いしようと思っておりましたのに・・・・・・・・・

かといって寂しがってばかりいると、それこそ愛川さんに叱られてしまいそうな気が致します。
人を楽しませたいという想いを常に強く抱き、ご自分の信じられる道をまっすぐに進んでおられた、その姿勢を、表現者として見ならいながら、もっと精進せねばと改めて感じ入っております。

愛川欽也さんへ、
心からの感謝と哀悼とともに―――

笹倉鉄平

2015年04月20日

京都、上ルクダル・西入ル東入ル


この度リリースされました「続いてゆく・・・」は、京都の中心部、碁盤の目のように通りが交わる、いわゆる「田の字地区」の中に点在する実在の老舗を3軒ピックアップして、並べて描いてみた作品です。

京都の中心部辺りというのは、京都の人にとっては、縦・横の通りの名前さえ分かればなんとなく"あの辺り"と大概の見当をつけられるエリアのようです。
というのも、子供の頃から、通り名の並び順を編み込んだ童歌を歌う等して、楽しく習い親しんでいるからのようです(有名なのは、東西の歌が「丸竹夷(まるたけえびす)」、南北の歌が「寺御幸(てらごこ)」)。

京都の住所で、よく目にする"上ル・下ル・西入ル・東入ル"というのは、(碁盤の目状の通りをX軸・Y軸で見た場合)それぞれの通りが交差する地点から、北へ"上ル"のか南へ"下ル"のか、または"東へ入る"のか"西へ入る"のか、を表しているのです。
ようやく私も、通り名の表記を見たり聞いたりしただけで、その周囲の風景が何となく目に浮かべられるようになってきました。

ただ・・・京都の街なかは、人口が多いのに"○丁目○番地"という短い住所表記を用いていないので、公的な文書には『南北・東西の各通り名の表記+(昔からの)町名+番』の全てを書かなければならず住所がとても長~くなってしまいます。そんなこともあって、"全国区の"書式に公式住所を書きこむ際に、欄が狭くて苦労する、という話もよく聞きます。

『町名と番』だけの記載ではダメな理由はちゃんと有り・・・中心地には同じ名前の町が複数存在し(例えば「亀屋町」という名前は5ヵ所…等)、町名+番のみでは場所の確たる特定ができないのです。そして、同じ町名であっても飛び地等ではなく、それぞれに起源と謂れが存在する、全く違う町なのだそうです。

「続いてゆく…」 2015年制作 油彩 22.0×60.6㎝


また、平安京を起源とした歴史を紡ぎながら続く地だけに、昔からの町名をそのまま生かしている所が多い為でしょうか・・・漢字が読めない町名や変わった町名も多く、地図を見ているだけでも飽きなかったりします。
『天使突破町』という町名を偶然見かけた時には、"一度聞いたら忘れられない町の名前だ!!"と、感動すら覚えたものです(笑)。

また、町を歩いていて気付くのは、織物や着物関係の商いをされている所が大変多いことです。そういった関係の店舗を「イトヘン(糸)の店」等と言い表したりするのが、なんとも京の都らしい表現ですが・・・そういったイトヘンの商家が多いエリアの町名は、やはり「衣棚町」「帯屋町」「織物屋町」等とあります。昔の町角の面影が偲ばれて、良いなぁと思います。

さて、ついでに、よく他府県の方に訊かれる質問。曰く、右京区と左京区が、地図で見ると右・左が逆ではないか?・・・と。
これは、市街中心部の北側(地図でいう上)に在る「京都御所」からの視点で南側に広がる町の方を見た場合、(地図の)右側が"左京"、左側が"右京"となるから・・・なのです。かつて"天皇の座所"だった名残なのでしょう。

こうした住所の表記一つ取ってもなかなかに興味深い、"千年の都"京都の不思議な魅力は、昨今では海外でも広く認められるところとなっているようです。

アメリカで出版数100万部を誇る「トラベル+レジャー」という観光旅行雑誌の読者ランキングで、「Kyoto」は年々順位を上げて、昨年ついに「ワールド・ベスト・シティ」第一位となりました。
昨今、日本文化が世界から注目されると同時に日本人気が高まっているのも、こうした結果を聞くのも、日本人として何となく嬉しいものです。

ちなみに、同ランキングの第三位は、イタリアのフィレンツェとのこと。
そして・・・めでたくも、その二都市が、姉妹都市となって今年で50周年を迎えました。

笹倉鉄平

2015年04月09日

京都・高台寺での個展

 

京都の中でも、いわゆる"京都らしさ"濃い景観が多い東山に在り、豊臣秀吉の正室である北政所・ねねが夫の菩提を弔う為に創建した名刹、高台寺。

その書院をお借りして開催した「京都・フィレンツェ/光の情景画展」を、先日無事に終えることが出来ました。
お寺の中、タタミの上での展覧会・・・様々な点で通常の展示とは異なる環境と風情の中、画家人生初の経験でしたので、喜び・不安・緊張などが入り混じる貴重な12日間となりました。

今回の展覧会は"京都・フィレンツェ姉妹都市提携50周年"の記念事業の一環として、有難くも両市の後援を得て開催して頂きました。
そして、町に宿る精神のようなものがどこか相通ずる二つの古都の、それぞれに美しい風景を、私なりの敬意と愛情をこめて描いた"光の情景"を展示致しました。

会場となった北書院

 

そこから庭を眺めると「開山堂」と「観月台」が…

 

通称"二年坂・三年坂"へと続く人気のある観光ルート上にも当たる高台寺ですので、沢山の方にご覧頂くことが出来ました。
全体の印象としては、日本人の方6割、アジアの国々の方3割、欧米の方1割、ぐらいの比率だったようです。
外国人観光客の方々にも、京都とフィレンツェの関係を知って頂き、また京都の情景画を通して日本の美しさや独自の感性が、少しでもお伝え出来ていたなら良いのですが・・・

また、お寺の閉門後に開かれましたオープニング・レセプションには、京都市長の門川様やイタリア総領事ロンバルディ様、建仁寺派管長でいらっしゃる小堀泰巖猊下、他にも市や文化交流に関わっていらっしゃる多くの皆さまにご列席を賜りました。そして、光栄にも絵の感想やありがたい応援のお言葉を頂戴し、大変嬉しく心に刻ませて頂きました。

そういった様子は、今後年内に予定を致しております、当該展示内容を再現する巡回個展にて、ビデオで見て頂けるようにと考えております。

とにかく、"常ならぬ"展覧会が無事終了し、ようやく肩の荷を下ろしております。

笹倉鉄平

2015年03月16日

あれから、もう10年・・・

日本を観光で訪れる外国人がとても増えているという話題を、テレビ等メディアでよく見かける昨今。
京都では、確かに外国からのお客様が年々増えているなぁと、実感します。
日本人独自の優しさ、細やかさ、美意識など、良い特性が海外の方々からも注目・評価され気に入って頂けるのは、誇らしくもあり嬉しく感じます。

そんな中、今年は、京都市とイタリアの芸術の都であるフィレンツェ市が、姉妹都市となってちょうど50年という記念すべき年を迎えました。
その記念事業の一つとして、ありがたくも私の作品展を開催して頂けることとなり、現在それに向けて制作に励む毎日です。

遠く々々離れた二つの古都の"通じ合う部分"をテーマにした作品を展観した、同・姉妹都市提携40周年記念展を行ったあの時から、もう10年も経ってしまったということにまず驚きつつも、再び意義深い事業に参加させて頂く幸運を光栄に思っておりますし、大変感慨深くもあります。

さて、その記念の展覧会の大まかな年内の流れを記しておきますと・・・

2月下旬~という大変寒い時期ではございますが、京都・高台寺さんにての開催がまず決まっております。
鷲峰山高台寺さんは、豊臣秀吉の菩提を弔う為に正室ねね(北政所)が建立した名刹で、実際に訪ねられた方や、お名前をお耳にされた方も多いかと思います。
今回は、フィレンツェ市との交流にご縁が深い高台寺さんの一室を使わせて頂き、油彩画やスケッチ等30点を展示致します。

そして、今夏のフィレンツェでの展示に臨んだ後、恐らく9月以降になりますが、各地の百貨店にて上記を再現する内容の展覧会の開催を予定しております(両市にて展示した作品と"40周年"の時に描いた作品等もプラスし…)。
ただし、それらの展覧会は現在、会場・日程など調整を行いながら話を進めている段階ですので、詳細は未だ決まっておりません。
国内3~4ヶ所での巡回開催を目指し、オフィスの方で努力致しておりますので、お知らせまでもう少しお時間を頂きたく思います。

まだ未定の部分も多く恐縮ですが、一連の流れをお知らせ致しました。
また、続きはこちらのページでご報告させて頂きます。

笹倉鉄平

2015年01月30日

出発進行‼

暫く前まで何年かに渡る長い長い間、大規模な整備工事を行っていた東京駅。

オフィスが近いのでよく使っていた八重洲口側は、工事の間中頻繁に出入り口や通路を変えながら、少しずつ変化してモダンな形に完成し・・・丸の内側もやはり大きな工事を経て、レトロな雰囲気も美しい姿に生まれ変わりました。

1914年(大正3年)の12月20日に開業した東京駅は、つい先頃100周年を迎えたことでも話題になっていましたが、それに合わせての工事事業だったのでしょう。
年明け早々に近くを通ることがあり、折角ですので記念写真を撮りました。

 

この丸の内駅舎は開業時と同じ姿に戻されたそうで、内部のドーム部分等、とても味わい深い意匠で何度見ても嬉しくなります。
長期に及ぶ工事の間、駅としての機能に支障が無いようにしながら、これだけ大きく姿を変えたことに驚きながら、実際に現場で作業をされていた多くの方々の苦労と工夫にも思い至り、改めて感慨深いものがあります。

私のオフィスからも徒歩10分位の距離ですし、各地の展覧会へ出向く際や、旅の往復、京都との行き来・・・等々、使ってきた頻度を考えますと、身近に感じ過ぎていたせいもあったのか、外観をじっくり眺めるという機会をかえって持たなかったように思います。

ともかく、日本を代表する「始発駅」でもある東京駅にて・・・
新たな希望や抱負を載せて、さあ、2015年の出発です。

笹倉鉄平

2015年01月08日