アトリエから 2014一覧

月日は本当に矢の如く・・・


『メールで"Xmasプレゼント"』の企画もあり、12月は沢山の方からメールを頂戴致しまして、ありがとうございました。
プレゼント当選の方がたった10名様と少なく、恐縮至極に感じつつ・・・一年間メールをお送り頂きました全ての皆様へ、改めまして感謝を申し上げます。

こうした機会をきっかけに「初めてメールします」「久しぶりに送ります」という方からお馴染みの方まで、絵との出会いや感想、好きな作品への想いやエピソード等々様々にお話をお伺い出来、とても嬉しく拝読致しましたし、全てのメールから応援の気持ちを有難く頂戴致しました。
今後も、展覧会や新作の感想などお寄せ頂けましたら、私もスタッフも幸いに存じます。

さて、ついこの間、新年のご挨拶を書いた気がしているのですが・・・早、年を跨ぐ季節を迎えました。
新しい年を迎えるタイミング・・・いったん線を引きスッキリと新たな気分で、下を向かず前進しようと気持ちを新たにしております。

寒さ最も厳しく、行事も多い繁忙な時候です。
皆さまご自愛頂き、行く年と来る年を、穏やかで平和な気持ちでお過ごしになられますよう・・・

笹倉鉄平

2014年12月26日

クリスマス前のオーデンセ

今回は、先日発表された新作「オーデンセの綿雪」を描いた時の思い出話を少々・・・

時は12月の中ごろ、真冬のデンマークを旅する中で訪ねた、オーデンセの街―――
とにかく、こたえる寒さの毎日でした。

アンデルセン(童話作家・詩人)の故郷の町、オーデンセにて。アンデルセン像も寒そう…

オーデンセに着いた時も、やはりとても寒く・・・
駅近くに見つけたホテルは、設備が古いせいかヒーターの効きがゆるく(窓辺のスチームヒーターはどんなに強くしても、ほんのり温かい程度で)、薄ら寒い一晩を過ごしました。
このままでは風邪でもひいてしまいそうだと感じ、翌日は暖房設備が新しそうなホテルを探して、そちらに移ることにしました。

そして、今思えば、この移動が大正解だったのです。
ホテルのすぐ目の前には公園が在って、こじんまりとして親しみの湧くクリスマス・マーケットが開かれていました。

部屋に落ち着くのももどかしく早速外へ出てみれば、真っ赤な兵隊さんの制服を着て腰には小さなドラムを付けた3人の子供たちが、タタタっと側にやって来て、満面の笑みを見せながら並んで挨拶をしてくれました。
嬉しい驚きで目をパチクリさせていると、小さな兵隊さんたちの背後を、古き良き時代の作業馬車を模した観光馬車が通り過ぎてゆき・・・
それを目で追ってゆけば、向こうの方では人形劇の小さな箱型劇場の前に人だかりができています。

手廻しオルガンの懐かしいような音色が聞こえたかと思うと、その側では、アンデルセンの時代の衣装を着た子供たちがズラリと並んで、ちょっとしたストリート・パフォーマンスが始まりました。

クリスマスを前にした日曜日の今日・・・どうやら、この町に住む普通の子供たちがそれぞれに練習した芸を披露する場らしく、一輪車、綱渡り、ハンドベル、ジャグリング等々を次々と観衆の前で演じてゆきました。

勿論、プロではないですから正直、上手な子はいません。失敗を繰り返して頬を真っ赤に染めながらも一生懸命で、くじけずに最後まで演じ切ろうと奮闘し・・・その背後には、演者以外の他の仲間たちが立ち並んで、声を出すことなく切実な応援を送っているのが伝わってきます―――

親御さんたちや他の観客たちに混じって、そんな健気な姿に涙が出そうになりながらも見守り、スケッチをしました。
この偶然の出会いに感謝をしつつ、帰国後一枚の絵に仕上げたのが、この作品です。

クリスマス前の日曜日に練習の成果を披露するオーデンセの子供達 (C) TEPPEI SASAKURA / ART TERRACE

 

日が沈んでからは・・・
やはりホテルにほど近い所で出会った、心温まるような光があふれる小さな家の窓辺に心奪われて、小さなキャンバスの作品になりました。

翌日には雪が更に降り積もり、午後になって出かけた散歩の途中で感動した光景が「オーデンセの綿雪」という作品になり、ここのホテルの枕の上で見た夢の中でのシーンもまた、小さな絵となって生まれました。

こんな風に、次から次へと絵の題材が湧いてくることは、そうそう有ることではありません(色々な条件が重なって、初めて絵に描いて伝えたいと感じる"感動"が胸に宿るわけですから・・・)。
アンデルセンが童話を沢山生み出したこの町の夢と自由に満ちた空気の中で、心が解放されてアンテナの感度が高まっていたのかもしれません。
それとも・・・もしかしたら、アンデルセンの魔法だったのかも?!(笑)

外にいる間の寒さ、物理的な気温は確かにキツいものがありましたが、心はとても温かくしてもらえたオーデンセの滞在でした。

笹倉鉄平

2014年11月13日

“◯◯のベニス(ヴェネチア)”

"画業25周年"を冠させて頂いた、東京での「版画全作品展」には多くの方々にご来場を頂きまして、ありがとうございました。

振り返ってみれば、自分自身にとっては"目の前に在る制作中の1点が全て"という毎日の繰り返しでしたが、その間に版画の作品数は、気付けば"181"にもなっておりました。
そして、種類が増えるに従い、版画全てを展示するだけでも広いスペースが必要になってきています。

その為、今回は原画の展示は無かったのですが、「今ではなかなか目に出来ない昔の作品にも会えて懐かしかった」「昔の版画作品を初めて見られて嬉しかった」等々ご好評のお言葉も頂戴し、安堵と共に長く続けてこられた喜びと感謝を改めて感じておりました。

そして――"182"作目が、このほど発表されました。
皆さまの応援があって、こうして新しい作品を世の中に出してゆけること、心より感謝でございます。

さて、新作の舞台はイタリア、ヴェネチア(=べニス)。
今夏に描き上げたのですが、そもそも描くきっかけの元の元は、前作「ユトレヒトの花束」を描く為にオランダを訪れたことに端を発していました。

ユトレヒトも運河の美しい街ですが・・・オランダは国土を干拓地が占める割合が高い為、多くの街で運河が頻繁に見られます。
首都のアムステルダムなどは、別名"北のべニス"とも呼ばれています。運河が街じゅう張り巡らされている感じや、大小の橋の数の多さ、旧市街での古い建物と織り成す美しい水辺の景観など・・・"北のべニス"と呼ばれる街が数ある中でも、最も違和感が無いような気がします。

そんな"北のべニス"を旅した直後のその足で、今度は"本家"ベニスを訪ねてみたくなったのです。
「ヴェネチアン・ノクターン」の初めの一歩は、実はそんな所にありました。

 

ちなみに、"北のべニス"と称されるヨーロッパの街は、他にもいくつかあります(以下、各根拠は、あくまで私感です)。
例えば、ベルギーのブルージュは、中世そのままの街並みが残っているという点で、ロシアのサンクト・ペテルブルクは、湿地帯を埋め立てて杭を打って建造されている構造的な観点から、また、スウェーデンのストックホルムは、周辺の小さな島々等を含めた"水の都"としてのイメージが・・・と、それぞれに異なる部分で、"ベニス感"(笑)は確かに高いのです。

美しい水辺がある場所に、心惹かれ続ける私にとって、"○○のベニス"は避けて通れないキーワードなのかもしれません(笑)。

笹倉鉄平

2014年10月04日

25年が経ちました

暑中お見舞い申し上げます。
猛暑が続いたり台風が来たりと、目まぐるしい天候ですが、皆さま恙なくお過ごしのことと存じます。

*      *      *      *      *

今からちょうど25年前の夏。
イラストの仕事を自ら辞して、画業に専念してゆこうと一大決心をしました。

当時、広告・出版物・パッケージなど多岐にわたるイラストの仕事をしており、休みの日も取れないほど忙しい状態でした。
イラスト(職業としての)というのは多くの場合、発注者サイドの意図やイメージを具現化して描いてゆくものの為、真に自身の"描きたいもの"は描き切れずにおりました。

そうやって、心の片隅に徐々に蓄積されていったイメージは、仕事の合間々々の短い時間では"絵画"として仕上げることは難しいですし、また「今、専念してそれらを描かなければいけないのではないか?」と、強く感じて転身を決意したのです。

勿論、「画家」という道を選ぶことへの先行きへの不安はありました。
それでも、若さの勢いもあったのかもしれませんし、「描きたい」という強い気持ちが、数々の不安をも押し流したのです。

それからは、もう無我夢中の状態で・・・絵の制作を中心とした日々が瞬く間に過ぎてゆき、結果として25年が経っていました。

先ごろ、サイン会へ親子お二人でいらして下さったお母様から「初めて先生の絵を観た時、この子はお腹の中にいたのですが、今度結婚するんです」と伺い、こっそりビックリしておりました。
時の流れの速さと重みを改めて実感致しました。


長きに渡って、多くの方々に絵を観て頂き、応援して頂き、活動をも支えて頂き・・・
こうして今も、絵を描き続けていられることに感謝を覚えずにはいられません。

当時胸に抱いた夢を見失うことなく、より皆さまに楽しんで頂ける絵を描き続けることを目標にして、今後も精進してゆきたいと思います。

画業25周年記念作品「ユトレヒトの花束」を描いた、オランダ・ユトレヒトの街で

笹倉鉄平

2014年08月08日

ウーズ河畔と「スマイル」と

作品「ウーズ河畔」の舞台となった、英国はヨークの街。 旧市街で見つけた画材屋前にて。

さて今回は、この度リリースとなりました新作「ウーズ河畔」のこぼれ話でも書いてみようかと思います。

皆さんは、同じ曲や曲のフレーズなどが、頭の中で延々と流れ続けているような経験、お持ちではないでしょうか?
実は、昨年の夏、この絵の舞台となったウーズ河の岸でスケッチをしている時に、ずっと頭の中で聞こえていた曲がありました。

「スマイル」という、サイレント映画『モダンタイムス』の挿入曲としてC.チャップリンが作った一曲です。映画のラストシーンで流れる印象的なメロディに後年歌詞が付けられ、多くの有名アーティストがカバーしていますので、スタンダードな曲として一度はお耳にされたこともあると思います。(ちなみに、最近ではフィギュア・スケートの浅田選手がエキシビション用の曲として、オリンピックでも使っていました)

ウーズの河辺で、その「スマイル」が頭の中で繰り返し流れ始めたのは、(イギリスだったせいか)最初はエルビス・コステロの歌声でだったのですが・・・何度もリフレインされているうちに、いつの間にか色々なパート別のハーモーニーを伴った男性4人の合唱へと次第に変わってゆきました。
なぜ「スマイル」だったのかは、自分でもよく分からないのですが。

もしかしたら・・・(ものすごく飛躍はしていますが)
ヨーク(描いている街)⇒(古き良き時代の)ニューヨーク⇒"バーバーショップ・ハーモニー"⇒男性の合唱⇒美しいハーモニーの曲⇒何となく「スマイル」―――といった連想が、無意識にあったのかもしれません(笑)。

さて、この"バーバーショップ・ハーモニー"ですが、あまり耳慣れない言葉かもしれませんので、少々ご説明を・・・

19世紀後半、ラジオ・TVがまだ無い娯楽の少ない時代のアメリカ。町の社交場でもあった床屋に男性が集まっては、余興として伴奏無しのカルテット(無伴奏四部合唱)で歌を歌うという独自のスタイルが築かれ、とても流行したそうです。
そして、それがコーラスの一スタイルとして、(場所が床屋であったことから)"バーバーショップ・ハーモニー"と呼ばれるようになりました。その後は、コンテスト等も多く開催されるようになったアメリカから、欧州を経て世界中に広がっていった・・・ということです。
そうそう、日本でいえば「ダークダックス」等が、このスタイルですよね。

そんな男声合唱のハーモニーでの「スマイル」が、スケッチする間中ずっと耳の奥に響いていたせいで、絵の中のオープン・カフェの真ん中で男性4人、唄う姿が浮かんできてしまい・・・ごく自然に作品の中に登場することになったのです。

そして、この「スマイル」という曲ですが、歌詞も好きで以前からお気に入りの一曲でした。
大まかに言ってしまえば、"辛い時でも、笑顔を浮かべていればやってゆける"といった、正に「モダンタイムス」のラストシーンを象徴するような内容です。

前を向いて、笑って、勇気を持って生きよう、という歌詞でありながら、曲は「ニ短調」の哀愁を感じるメロディ(ニ短調の有名な曲として、モーツァルトのレクイエム等があるように、悲しげな曲調となります)・・・
ですが、そのウラハラなものが程よくブレンドされた感じが、胸にグッとくると申しますか・・・とても好ましいのです。

"嬉しい"を支えているものが実は哀愁漂うもの、というニュアンス・・・悲しみや苦しみを乗り越えられたところにある喜びや感動・・・そういったものは、言葉で説く以上に、いつの世でも優しく人々の心を癒し、元気づけるのではないかと思います。
そういった空気を「ウーズ河畔」にも漂わせたい、と思いながら描いていましたが・・・

当Netの管理人が表紙ページの作品紹介の文章内で、奇しくも、『"静けさ"と"賑わい"という相反するものが共存する作品に"楽しさ"や"安らぎ"を覚える』といった感想をたまたま述べてくれており(事前に打ち合せなどしていません(笑))、若干ニュアンスは違えど「あゝ何となく伝わっているのかな」と、嬉しく思いました。

私の場合はなぜか「スマイル」でしたが、この絵を観て頂く時には、胸中でそれぞれにお好きなメロディを想像しながら楽しんで頂ければ何より、と思います。

笹倉鉄平

2014年06月19日

質問にお答えします Part.6

過日の米子での展覧会・サイン会へ足を運んで下さった皆様、どうもありがとうございました。
米子を訪ねるのは初めてのことでしたが、道中に念願の「足立美術館」へも立ち寄れましたし、短い時間ながら充実した時間を過ごすことが出来ました。

ただ、先だっての旅の疲れがその頃にちょうど出ていたのか、少々体調が万全ではなかった為…もしかしたら、サイン会の時には元気が"いまひとつ"な印象だったかもしれません。
さて、今はスッキリと体調も戻り、絵の制作に没頭しております。
そんな中、少し溜めてしまい気になっておりました皆さまからのご質問にもお答えして、更にスッキリしてみようかと…(笑)。

今回は、全て「ちいさな絵画館」アンケートにてお寄せ頂きましたものですが…
まずは小学生の女の子からの質問です。

Q.私は絵の勉強をしていて、人物が苦手なのですが…(笹倉さんにとって)描きにくいものは何ですか?

A.そうなのです。人物を描くというのは、本当に難しいものです。私にとっても、正直"描きにくい"対象の一つです。
"人間"を描く時は、ほんのちょっとした失敗(小さなデッサンの狂い)も変に目立ってしまうものですし、顔の表情などわずかな狂いでも違和感を感じてしまいます。
それは、顔や体の動き・ポーズというのは、常日頃からあまりにも身近に見慣れ過ぎているせいで、ほんの少しでも変な所があると、観る側には"何か違う"と感じ取れてしまうからなのです。
人間同士というのは、小さな違いや小さな動きの癖などなどのわずかな差で人を見分けているわけですから、"絵に描かれた人物"も、自然と厳しめの感覚で見られてしまうわけです。
逆に…例えば、風景で「山」を描いた時、少々実際と違っていたとしても、恐らく何ら気にならないでしょう。
一般的に"風景よりも人物が苦手"という人が多いのは、そんな理由もあるのではないでしょうか。
(…小学生にも解りやすいような文章で書けなくて、ごめんなさい)


Q.アジア(中国・タイ・モンゴルなど)へ行かれて、制作をされることはないのですか?

A.こういった質問は、場所はアジアに限らず、時折頂きます。
アジアが題材の絵も、数は少ないですが描いています。
例えば、今ちょうど「ちいさな絵画館」で展示中の「北京雨情」という作品は、北京郊外の湖畔での情景ですし、カンボジアでは石仏を描いたこともあります。

「バイヨンの石仏」 コンテ 55.0×83.0cm 2008年制作
カンボジアのバイヨン遺跡で出会ったほぼ等身大の石仏。 気持ちが浄化されるような美しさを感じて描きました。


ただ、若い頃から描き始めたヨーロッパの風景や近年の日本の風景も描くことで、今現在は精一杯のため、他の地域までは追いつかない状況なのです。
しかし、"どうしても絵に描きたい"と心動かされる光景に出会ったら、国や場所が何処ということは関係なく描くと思います。


Q.「エデルシュタイン村へ」の風景は、早朝の設定でしょうか?あるいは、夕方の設定でしょうか?山の頂から射す陽の光が早朝を表しているように見えたのですが、民家の煙突からの煙が夕食の準備をしているようにも取れる為、どちらかな?…と。

「エデルシュタイン村へ」 油彩 80.5×130.5cm 2010年制作

A.じっくりと絵を観て頂いて、とても嬉しいです。
おっしゃる通り、民家の煙突からのぼる煙は夕餉のしたく辺りの時間帯を想定して描きました。冬の寒さ厳しい環境と相対するような、温かな家庭のぬくもりのようなものを添えたかったのです。
ただ、たとえそれが朝食のしたくの煙であっても良いと思います。朝日輝くピリリと引き締まった空気の中にいる人や馬の雪景色というのも、また違う感覚で別の想像もできるでしょうし…観て頂く方の自由な想像にまかせて、想い々々にお楽しみ頂くのも良いのでは…、というのが私の正直な気持ちです。


Q.作品の中に、(画家)ご本人が登場していることはありますか?

A.確かに、自分らしき人物を画面に描いてしまうことはたまにあります。時々"コレそうですよね?"とご指摘も受けますし(笑)。
それは、絵を描いている画家の姿であったり、スケッチブックを抱えて歩いていたり、カフェの片隅に座っていたり、また時には、自分の気持ちを語る分身の姿として登場していたり…"必ずこう"といったパターンはないのですが。
現実に作品の中のその場所で絵を描いたからというリアルな理由であったり、そこの場所に"自分も居たい"という願望からつい描いてしまったということもあります。
もっと言うならば(極論になってしまいますが)…描いた情景そのものが自分の想う理想の世界ですので、ある意味画家本人の姿が画面上に無くても、その存在は常に作品と一緒に在るものなのかもしれません。

今回は以上となります。
今後も、絵をご覧頂き疑問に感じたことを、メールでもお気軽にお寄せ下さいませ。

笹倉鉄平

(※スタッフ注:文字数等の都合により、Q.の部分は問い合わせ内容の主旨のみ抜粋させて頂いております)

2014年06月04日

「あっ! 帽子が・・・」

今、仙台から東京へ移動する車内でこれを書いております。
仙台での個展へお越しいただきました皆さん、ありがとうございました。
サイン会では、短い時間ではございましたが、お話しする機会を持てましたこと嬉しく思いました。

*       *       *       *       *

さて、前回オランダからの便りをこのページにアップした後、旅の途中での更新が途絶えておりました。
いつもの如く、絵の制作にどんどん没頭・集中してゆくうちに、アッという間に日が過ぎていたのでした。
そこで、その後の話をほんの少しだけ…

「オランダ」といえば、その主なイメージの一つとして"風車"があります。
それは現実的な環境の要因として、風が吹いていることが多いから…ということもあるようです。確かに、平らな土地が延々と続いている印象があり、風通しは良さそうだなぁと感じますし、特に海辺の街では、風が吹く頻度は多くしかも強風だったように思います。

実は今回…そんな海辺の街の運河沿いを歩いてる時に、被っていた帽子が急な突風に飛ばされてコロコロと転がってゆき、運悪くフワリと運河の流れの中へ…
手が届く場所でなく、引き上げる術もなく、悲しいかな沈んでいってしまいました(苦笑)。

まだ旅冒頭のタイミングでしたので、まぁ今回の旅の"厄落とし"だ、と腹をくくり笑って別れを告げてその場を後にしました。
ただ、それが効いたのか、その後は旅には毎度つきもののトラブルや予想外の事態もほとんど無く、天候不順な春のヨーロッパにしては良いお天気に恵まれ続けたのでした。

絵を描くには、雨天は何かと面倒が伴いますので、何より嬉しいことでした。
あの帽子には、改めて感謝しています(笑)。

そんなこんなで各地を巡り、元気で無事帰国を致しております。

オランダにて現地調達した帽子と共に(笑)、最後に立ち寄った街、ドイツ・ケルンの中央駅構内で。
ケルンは香水発祥の地。フランス語の"オー・デ・コロン"は、つまり"コロン(=ケルン)の水"。
写真背景の電飾文字はドイツ語で"本物のケルンの水"、ケルンの超メジャー老舗オーデコロン・メーカーの宣伝です。

 

笹倉鉄平

2014年05月20日

イースターの日

今、デン・ハーグに向かう電車を駅で待っているところです。
本日はイースター(復活祭)なので、聖金曜日から翌月曜日までは、店やレストランが休みのところが多く、電車の時刻もイレギュラーになったりと、旅行者には少し不便な4日間ではあります。
この復活祭というのは「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」という「の」が6個もつく(笑)決まりですし、日本人には馴染みが薄く、つい忘れておりました。
店のウインドーに卵やウサギの飾りを見かけて気付いた次第です。


昨日から中世の頃の様な仮装をした多くの人達が、駅で普通に往来きしていて妙な面白さがあったりもします。
今日訪れていた街の教会前広場では、キリストの復活を祝う歌を結構長い時間をかけて、大勢の人達が合唱していました。


さて、こちらもようやく春らしい暖かさになって来て、野外でスケッチやメモ描きするのが楽になりホッとしています。
まだ、暫らくはこちらで制作の旅を続けるつもりです。

笹倉鉄平

2014年04月20日

オランダから

横浜で開催されました「4日限りの笹倉鉄平美術館」には多くの方々にお越し頂き、誠にありがとうございました。
横浜周辺のお客様がもちろん多かったのですが、作品を多数展示することが出来る大規模な会場だった関係で、遠くから来館して下さった方もあり、心より感謝致します。
僕の知り得る範囲でも、関西方面からや九州、また北海道や東北方面からも…頭が下がる思いです。
こういった言葉では表現するに足りず、画家らしく「絵」でお応え出来るよう、より修練に励まなくてはと改めて思いました。
しかし今回は4日という短い期間でしたので、「都合がつかなくて残念」というお声も頂戴し…
「今度は開催期間が長めの展示企画を…」と、オフィスの方にお願いしてありますので、今しばらくお待ち頂けると幸いです。

 

さて、横浜でのサイン会の終了直後に空港へと向かい、今はオランダに来ております。
こちらはまだ肌寒いですが、早春の花々がちょうど見頃で、とても綺麗です。
絵に描きたい光景に今回も出逢えることを願いつつ…
取り急ぎ御礼まで。

笹倉鉄平

2014年04月16日

英国人の鉄道愛

新作の「セトル鉄道駅」―――今回ようやく描くことが出来た鉄道駅の絵です。
実は、かなり以前から"駅"の情景を描きたいという想いは持っていたのですが、出来れば…発祥の国であり鉄道に愛着を持っている国イギリスで、"駅"をちゃんと油彩で描きたいと思っていた為、いい機会が無かったのでした。

旅の間に読んだ、ものの本によりますと・・・
実用目的で運行管理された世界初の鉄道路線として、リバプールとマンチェスター間で蒸気機関車による運行が、1830年に開業したとのこと。
その後、利便性は無論のこと投機的なブームなどもあって、大都市間を結ぶ鉄道網や地方路線網が1840年台には出来上がりますが、1920~30年代以降は、戦争や自動車中心のライフスタイルへの変化などにより、旅客の少ない路線の施設・車両の荒廃や、ローカル支線の廃線が目立つようになります。

そこで起こったのが"保存鉄道(heritage railway)"の動きです。スタートは、やはりイギリスからでした。
1951年、廃線となっていた「タスリン鉄道」を、鉄道ファンの団体によるボランティアの手だけによって再び運行させたのです。
これが、鉄道の保存運動の始まりの一例だそうです。

そうした廃線路線を、ボランティア(=その路線のファン)が組織する団体によって復活・継承運行させて、観光施設として成り立っている鉄道が一般的に"保存鉄道"と呼ばれています(行政や地元の自治体等が営利運行している路線とは異なる)。

 

「テンターデン・タウン駅」 アクリル淡彩・32.0×25.0㎝
ロンドンから70kmほど南東に位置する保存鉄道、ケント&イースト・サセックス路線の始発駅


その為、当時のままの姿での運営にこだわっているようで・・・
駅舎は勿論、蒸気機関車時代を偲ばせる小物が置かれていたり、それぞれの路線ご自慢の蒸気機関車や昔の客車を走らせていたりします。
現在では、その路線数はイギリス国内だけでも100を超え、この運動はヨーロッパやアメリカなどにも広がっているようです。

さて、新作「セトル鉄道駅」の舞台は、イングランド北部のヨークシャー・デイルズという国立公園を突っ切って、セトルの街とカーライルの街を結ぶ保存鉄道路線"セトル・カーライル鉄道"の始発駅です。
同じ路線の先に在るアップルビーという駅へも行ってみたのですが、そこの駅舎の屋根の切妻飾りがとても可愛らしかったので、絵ではセトル駅の右側の建物(待合室)の切妻飾りを、そちらに変えて描いてみました。

そんな風に、保存鉄道それぞれの路線が、駅舎のイメージや陸橋のデザインや色彩など異なる個性や工夫を活かしつつ運営されているようです。
これまでに、いくつかの保存鉄道路線を訪ねてきましたが、いずれもボランティア団体で営んでいるとは思えない見事さです。

保存鉄道を走る蒸気機関車のホィール部分。他、車体の隅々まで美しく磨き上げられており感動!!

古いけれど状態の良い蒸気機関車が現役で走る姿、年期は入っているけれど花で飾られた清潔な駅舎、当時を偲ばせる雰囲気づくりや工夫・・・
そして言うまでも無く、廃線の憂き目にあって壊れ、痛んだ線路・機関車・客車・駅舎などの全てを、募金で買い取り修理して昔日のままに戻して再び運行させるまでの努力・・・その情熱と愛情に強く心打たれるものを抱きながら描いた作品でもありました。

保存鉄道で働いておられたボランティア――機関士、車掌、駅員、切符窓口の係員etc.――の方々のキラキラと輝いていた笑顔が忘れられません。

笹倉鉄平

2014年03月25日

アイルランドと日本

この度リリースされた「セント・ステファンズ公園」は、アイルランドの首都ダブリン市内中心部に在る公園での作品なのですが・・・

"アイルランド"と聞いて、皆さんは何を連想されますでしょうか?
日本のテレビや雑誌などで取り上げらる機会は、他の欧州のメジャーな国と比べますと、割と少ないように感じます。

有名なところでは、ビールの"Guinness(ギネス)"や、そのギネス社が生み出した「ギネス世界記録(Guinness World Records)」いわゆる"ギネス・ブック"があります。
そしてギネスビールと縁があるのは、日本でも多く見かけるようなったアイリッシュ・パブ。そのパブ・カルチャーから生まれる音楽もありますし、スウィフトやジョイス、イェーツなど文学の分野でも著名な作家は多いです。

こうして改めて考えてみますと、どちらかというと物理的にも遠く馴染みの薄い国の部類に入ってしまうかもしれません。
ですが、意外なところで日本とも縁があるらしく・・・

例えば、日本国家「君が代」の初代の曲(現在のものとは違う曲)は、J.W.フェントンというアイルランド人の軍楽長が作曲したのだそうです。まだ国家の礼式曲が無かった時代に、軍楽隊が天皇の御前で演奏できるようにと「君が代」の歌詞に曲をつけたそうで、今の「君が代」が完成するまではフェントン版が国歌として演奏唱されていたということです。

また、東京・銀座の街並みは、T.J.ウォーターズというアイルランド人により、1872年の銀座大火後、日本政府からの依頼で設計されました。碁盤の目状の整然とした街路や、当時のダブリンの街並みから影響を受けたジョージアン様式の2階建て煉瓦街で、銀座を"文明開化の街"へと生まれ変わらせたということです。

どちらも、残念ながら既に現在は失われてしまっていて、実際に耳にすることも目にすることも出来ませんが、かつてはそんなご縁もあったということは、あまり知られていないようです。

個人的には、音楽の部分でとても親近感を覚えました。
音楽が常に人々の身近にあることを目の当たりにしましたし、ロックミュージックの歴史的な源流を辿ればアイルランド(ケルト)の音楽へと通じると謂われることにも、肯けるものを感じました。

ダブリンのテンプルバーという通りを歩けば、ズラリと並んだパブからは陽気な生演奏の音楽が毎夜聞こえ、角々にはレベルの高いアーティストの卵たちが、老若男女を問わず演奏する姿を見かけました。エンヤやU2など世界的アーティストも多く輩出しています。
ちなみに、フィギュア・スケート羽生結弦選手のショートプログラム曲「パリの散歩道」で、今話題のギタリスト、ゲイリー・ムーアは北アイルランドの出身ですし・・・。

伝統的な音楽にロック・アレンジをして演奏する若手バンド。"音のお土産"でその場でCD(自費出版?)を即購入(笑)

日本の小学校唱歌には、明治時代に入ってきたアイルランドやスコットランド民謡も多々あるそうで、長く愛唱されてきました。
西洋音階の通常7音階に対し、日本の音階とスコットランド・アイルランドの(ケルト音楽の)音階は5音階で成り立っており、曲調が日本人にも馴染みがあったからなのかもしれません。

日本から見れば、最西端の国アイルランド。逆に彼らからは極東の国、日本。
ファー・ウェストとファー・イースト、感性の部分で"遠いのに近い"何かが通じ合っているのかもしれませんね。

笹倉鉄平

2014年02月14日

大和の版画ミュージアムにカフェが・・・

先日、神奈川県・大和市にある、『笹倉鉄平版画ミュージアム』へ行って参りました。
その日はちょうど、館長・小川さん"肝いり"のカフェが併設オープンされた初日。

古民家風の落ち着いた風情の内装が施されており、春には桜も美しいお庭に面しているので、『カフェ・ジャルダン(=仏語で"庭")』と名付けられたそうです(ちなみに、お店のロゴは私が書かせて頂きました)。

右奥の建物が、この程オープンした『カフェ・ジャルダン』です。左側はミュージアムの入り口。

小川館長のカフェへの思い入れなどお話を伺いながら、時間がのんびりと流れているように感じるお席で、美味しい珈琲を戴きました。
展示をゆっくり楽しんで頂いた後に、こちらで暫し足を休めて…"それぞれのひと時"を過ごされるのも良いのではないでしょうか? (カフェ内には、作品「それぞれのひと時」を掛けて下さっています)

小川館長(左)と談笑中。壁に掛けられた「それぞれのひと時」に通じる空気が流れています。

窓のステンドグラスは、英国のアンティークとのこと…細部までこだわりが感じられます。

<※スタッフより>
営業時間等の詳細は、版画ミュージアムさんへ直接お問い合わせ願います。

笹倉鉄平

2014年01月24日

今年は・・・甲午(きのえうま)

皆さま、穏やかな新年をお迎えでいらっしゃいますでしょうか。

こちら↓は、京都の粟田神社参道にて出会いました御神馬の像と一緒の写真です。
旅立ちや旅の道中守護のご利益で知られ、色々な意味で新春に参るには良い御宮さんです。
陽射しがなかなか神々しい感じに撮れており、新年向きかなぁ…と(笑)。


さて、2014年の干支は"甲牛(きのえうま)"。そして今年、私は年男です。
十干十二支が一巡し、生まれた年と同じ"甲牛"へと還りました(つまり、いわゆる還暦です)。

他人事のように思っていた"還暦"というものが、自分にも早巡って来たのかぁ…という感じです。
とはいえ、マイナスな気持ちは無く、
むしろ一巡して初心に還るという新鮮な気分で新しい年をスタートしております。

歳末・大晦日から正月三が日も、無理ないペースでずっと絵を描いておりました。
今年に限らず、年が明けて初めて筆を執る時というのは、
どこか厳かで神聖で清々しい空気を感じますので、気持ちが"ノッて"描ける気がしています。
還暦を迎える特別な新年にあたり、
こんな時にこそ「絵に向かわないのは勿体ない」と感じたのです。


末筆になってしまいましたが…
昨年末には、クリスマスの感謝企画もございまして、
多くの方々からメールを頂戴致しましたこと御礼申し上げます。
自分自身が筆不精ですので、
メールを送って頂く皆さまのお手間を思いますと、頭が下がるばかりです。
応援のお言葉や作品へのご感想メッセージから、いつも創作のパワーを頂戴致しております。
本当にありがとうございました。

今年も『Teppei.Net』を、どうぞよろしくお願い致します。

笹倉鉄平

2014年01月07日