アトリエから 2008一覧

Season's Greetings


前回このページを更新した後、冬らしい絵を描きたいと思い旅立ちました。

この写真は、ロンドンに次いで英国で二番目に大きな街バーミンガムでの様子です。

ここは、美術館前の広場なのですが、
季節柄かなり大規模にクリスマス・マーケット
(ドイツ発祥ですが、12月ヨーロッパ各地で多く見かけます)が、
開催されていました。

美術館へ入るつもりで出向いたのですが、
その前で華やいだ温かいシーンにたくさん出会い、
絵画鑑賞そっちのけで、制作モードになってしまいました。

今回、イギリス中西部では雨や霧が多く、
高速道路などでは視界が利かないほどの風雨にもあいましたし、
緯度が高いのと時差で、午後3時半頃には暗くなり寒くなり、
野外での制作活動には悪条件そろい踏みです(笑)。

何はともあれ、
皆様へのグリーティングカードとして、最新の写真を載せさせていただきます。

メリークリスマス!!
・・・そして良いお年をお迎え下さい。

笹倉鉄平

2008年12月22日

小さな絵や大きな絵

先日カレンダーをめくると…もう最後の一枚。
何かやり残したことが有るような、無いような――思わず「はぁ」と、小さなため息も出ようというものです。

思えば、今年はずい分多くの"枚数"を描いたように感じます。
きっと、スケッチ作品と共に"小さな絵"を割と描いたせいでそんな印象になるのでしょう。
「笹倉鉄平・ちいさな絵画館」を、今年訪れて下さった方は、「あの小さなキャンバス絵の数々のことかな?」と、具体的に思い当たられるのではないでしょうか。

さて、我ながら感じた"小さなキャンバスに描く"久しぶり感に、何の気無しに振り返ってみました所、なんと'98年頃にギリシャの風景でたくさん描いて以来10年程ほとんど描いておらず、驚いてしまいました。
・・・随分描いていなかったものです。

再びミニ・キャンバスを見直したきっかけは、パリのバガテル庭園で出会った猫の絵でした(『流れ始めた音楽に』という作品)。
その猫を「ちょっと描いてみようかな」と思った時、"小さなキャンバス画面にサラッと描いた"イメージがハッキリと自分の頭の中に浮かび、その通りに描いてみると、(自分で言うのもナンですが)イイ感じの仕上がりだったのです。
以来ここ一年程、いつもの油彩やスケッチなどの制作の合間に、小さなキャンバスに描く機会が、結構多くなったのでした。

スイスやドイツなどで"心に引っかかったまま残っていた風景"や、パリでの個展用の作品などを、0号(既成の最小サイズ/14cmx18cm)~5号位までのサイズや、小さな円形のキャンバスに、次々と描いてゆきました。
描きながら再確認したことは、小さな絵には、大きな絵では表現できない世界があることでした。

見過ごしてしまいがちな、街角で偶然出会う「ちょっとした幸福感」を絵に描こうとすれば、大画面のキャンバスではなくて、小さな方が適しているでしょうし、観る人に対して的を絞ったピンポイントなイメージを描き出せるかもしれないと思うのです。
そして、それとは逆に、その場所に居るかの様な臨場感など、大きな絵でしか伝え難い世界観も、勿論たくさん有るわけです。

私は、ある光景を描こうと思った時、大きさはどの位でどんな形のキャンバスや用紙にしようかということを、これまで全くと言っていいほど迷ったことがありません。
ということは、絵のイメージや伝えたいことによって、そこは自然と決まってくるのでしょう。

更に、それは形・サイズだけのことではなく、画材の選択にもあてはまることで・・・油彩より水彩やスケッチの方が似合うな、という風景もありますし、絵の具を塗り重ねて細かく描く方が伝えやすいモチーフもあります。
ここ10年間程でも、意識してやったわけではないのですが、鉛筆や色鉛筆だけで描いてみたり、パステルでの表現に夢中になってみたり、アクリル絵の具で描くスケッチや淡彩画に魅力を感じたり、と…自分の中であたかも流行り(?)があったかのようでした(笑)。
考えてみれば、その時々や自分の年齢につれて、伝えたいことや描きたいイメージが、微妙にゆるやかな変化を辿ってきているのでしょうから、さもありなん…です。

また、"小さな絵"の制作には利点があることにも今回気づきました。
普段の制作中などに思いついた、「こんな表現をするとどうだろう?」とか「こんな題材をこんな構図で描いたらどうか?」等々、大画面ではやりづらいチャレンジや新しい表現方法などを、アイデアが湧いたら即トライ出来るという点です。
観る方の立場からですと、そんな風には見えないかと思いますが、自分としては小さいながらもワクワクするような新しいコトが小さい画面に必ず入っており、今後大きな作品の中でどう生かしてゆけるか思案したりもしているのです。

さて、そんな風に描いている"小さな絵"たちは、年末年始の東京大丸の展覧会にも恐らく何点か展示されると思います。

2回連続で、真面目な絵の話になってしまいましたが、描くことばかりに頭のほとんどを使って日々を過ごしているものですから…ご容赦下さい。
もっと気軽に読んで楽しんで頂けるような話題にしたい、と常々思ってはいるのですが…なかなか難しいものです。
来年からはもっと努力?します(笑)。

笹倉鉄平

2008年12月03日

“印象派”の話

北の方からは初雪の便りも聞こえるほど、肌寒い季節になってまいりました。
皆様はいかがお過ごしでしょうか?
私は、ここしばらくは何かと忙しくしておりますが、体調も良く元気にやっております。

先月の大阪での展覧会には予想以上に多くの方にお越し頂き、「初めて観る絵が多く楽しめた」との喜びのお声も異口同音に賜りまして、ありがとうございました。
描きためていた作品を公に展示することは、自分としても楽しみなことですので、嬉しく思っています。

ところで、少し前のサイン会でこんな質問を頂きました。
「絵の勉強の為に、模写などをした絵画ってありますか?」
う~ん、大昔、若い頃にはしたこともあったのですが、あまりに長い時間がたっておりましたので、咄嗟に正確なお答えをすることが、その時には出来ませんでした。

その後思い起こしてみたのですが、初めて"模写"というものをしたのは、中学何年生かの夏休みだったように記憶しています。
教科書に載っていた尾形光琳(後に"琳派"と呼ばれる、京都で生まれた美術一派の中心人物)の「紅白梅図(屏風)」でした。
画面中央に存在感たっぷりに描かれた、図案化された川の流れが「かっこイイ」と感銘を受けたからで、その金に墨で描かれていた川の模様を、自分でブルー系の色に置き換えて描いたことをはっきりと思い出せました。

続いて、心惹かれて模写した絵は、やはり教科書に載っていたアンリ・ルソー(印象派の中でも"素朴派"と言われる)の「カーニバルの夜」で、薄明かりの月夜の森をピエロとコロンビーヌに扮した男女が散歩する、とても印象的な作品でした。教科書の頁上に鉛筆で縦横四分割した線を引き、画用紙に拡大しながら水彩絵の具で描いていったのですが、絵から感じられる独特の"うれし悲しい感じ"が胸に宿ったことを憶えています。

特に宿題でも授業でもなかったですから、当時かなり気に入って模写をしてみた2つの絵だったのでしょう。

月日は流れ・・・今、京都とパリの絵で構成した展覧会の出展作品を思い浮かべれば、そんな双方の要素、すなわち京都生まれの"日本的なデザインや構成"とパリ生まれの"印象派"は、そんなに昔に自分の心に響き、以来脈々と頭のどこかに在り続けたのかなぁ・・・などと感じ入り、少々こじつけ的ではありますが(笑)、我ながら不思議な気分になりました。

以前この頁でも予告をしておりました、その"印象派"の話をここでしてみたいと思います。
学術的詳細な解説・説明は膨大ですし、簡単に掻い摘んでは出来ませんので、あくまで私にとっての"印象派への想い"とでもいったことになりますが、ご了解下さい。

"印象派"以前の絵画は、描写においてはリアリズムを追求し、その目的も写真の無い時代の記録物としても重要な役割を担っていたり、宗教への帰依の為の手段としてであったりと、もっぱらアトリエなど室内で生み出されるものであったのに対し、野外へ出て描くようになったのが印象派の始まりでした。

更に、目に見えるそのままを描くことよりも、"自分がどう感じているか"という、謂わば印象を描こうというのが、ご存知の通りその呼称の由来となりました。

また、印象派後期の画家たちは、対象の色彩や光を、色分解と点描や荒めのタッチによって表現しようとしました・・・と言っても、分かりにくいと思いますので、ついでに彼らの「光の表現」についても少し説明してみましょう。

皆さんも、色々な色を混ぜると濁った灰色になることは子供の頃に絵を描いた経験の中でご存知かと思います。特に、補色の関係にある色同士の赤と緑、黄と紫などは、二色だけでも濁った灰色になります。

そして例えば、曇り空の色は、"灰色をした光"の集合であって、灰色に塗られたものやそれ自体が灰色のもの等と比べれば、はるかに明るいものなのです。
そういった"光の色"を表現する手段として、前述の灰色を作る為に混ぜようと思った様々な色を、混ぜることなく分解して一色一色をキャンバスの上に置いてゆき(その一つ一つの"色の点"により、便宜上「点描」と呼ばれ、筆のタッチなど技法の側面から捉えられがちですが、それは色を分解して描く為の"必然"なわけです)、観る側の人の目と脳の作業の助けを借りることで、濁っていない自然の"光の色"をそこに感じてもらおうとしたわけです。

印象派の画家たちの作品に"光の――"というコピーや評論が多いのは、こうした斬新な色彩における光の表現への勇気ある挑戦への賞賛によるのではないでしょうか。

・・・ということで、"ついで"のお話が随分長くなってしまいましたし、思っていたよりも説明が難しく、結局よく分からなかったのではないでしょうか(汗)・・・下手な文章でごめんなさい。

話を"印象派"に戻しますと、彼等のそういった表現上の新しい取り組みや挑戦は、当時の画壇ではなかなか理解されませんでした。
しかしその後、徐々に評論家や専門家が認めだし、広く一般にその魅力を紹介するようになった途端、広い層に受け入れられ、今や印象派絵画は世界的にも大変な人気となっています。

そして、乱暴で私的な例えですが、印象派というのは、音楽でいうところのビートルズのあり方に似ているように思えてなりません。
ビートルズも、初めのうちはいきがっている若者の音楽と捉えられがちでしたが、果敢に新しい試みを続けながら次々に曲を発表して活動を続けるうち、評論家やクラシック界さえも無視出来ない存在となり、結果その曲の多くが世界中の人に愛され、口ずさまれ、ポピュラーソングの枠すら超える普及の名作となってゆきました。

新しいことへの、折れない「試み」の精神に感銘を受けると共に、どこか両者に共通性を覚えてならないのです。

自分は、コツコツと小さな試みを地道に重ねてゆく方法によってしか前に進めないという自覚が、多かれ少なかれありますので、印象派の画家たちやビートルズが成し遂げた大きな変革や偉業は、眩しくもカッコよく私の目に映り、若い頃からずっと大きな憧れを抱く存在であり続けているのです。

笹倉鉄平

2008年11月07日

パリでの個展、日本で再現します

前略にて失礼致します。

先日(9月12日)、パリ内外16の美術館から集められた絵画・彫刻・写真による「パリ100年展」(於・京都市美術館)の開幕に合わせ、パリ市よりブロッセル副市長が関係者とご一緒に来日され、京都市主催による歓迎レセプションにご列席されました。
光栄にもそのお席にお招き頂き、ブロッセル氏にお目にかかる機会に恵まれましたので、今回のパリ個展の目録画集を直接お手渡しして、お礼をお伝えすることができました。

さて、前々回このページにも様子を書きましたパリでの個展ですが、日本でも同じ内容の展示で再現をする展覧会が正式に決まってきているようで嬉しく思っております。

現在は、本来パリに出展するつもりで下描きだけして間に合わなかった作品を、その展覧会に間に合わせるべく、今更ながら、最後の仕上げを進めている真っ最中です(苦笑)。
実際のところ、自らが目指した「パリでの個展の全容が、大阪や東京などの会場でついに完成!!」といった感じです(我事ながら少々大袈裟ですが…)。

ところで、上述の副市長へもお渡しした個展の目録画集ですが、フランスで製作されたもので、つい先日船便にて東京のオフィスへ到着したようですし、この後の展覧会にはきっとお目見えすることでしょう。

そこには、ページ右側に京都の景色、左側にパリと、見開きごとに何処か似ている二つの街の情景が二枚一組となって掲載されており、それぞれの作品の下には、フランス語の説明文が小さい文字で一行入っています。

ちなみに、フランスの方々にも京都の絵をわかりやすくお見せ致したくて、個展会場でもそれと同じ一行をタイトルのキャプションの下に掲示しました。
こちらの会場でも、その短い文を日本語訳したものを同じ形でそれぞれの絵の下に添える予定です。

*      *      *      *      *

図録表紙にもある「Reflet Paris, Kyoto」――これが、パリでの展覧会タイトルでした。
日本での再現展のタイトルとして、この「ルフレ・パリ・京都」は分かりづらかったので、「遠いようで近いパリ・京都」展、と致しました。

一見、遠く離れた別世界のように思えるパリと京都の街ですが、長い年月に磨かれてきた繊細で洒脱な美的感性――平たく言うならば、「センスの良さ」とでもいう部分に、相通じる何かを感じてしまうのです。

時として、京都もパリも、他の土地の人からは「排他的」と言われてしまうことがありますが、最近、それはむしろ「良いことではないだろうか?」などと思ったりもします。

なぜなら、加速しながら進む現代のグローバリゼーションの流れの中、外から流入してくる物や資本や情報、そして考え方までもが、そのままの形で無条件にドンドン受け入れられてしまうとしたら…あらゆる場所が、同じ顔つきの個性のない世界になっていってしまうでしょう。
そんな画一化の大波を受け流しながら「個性」を大切に守り続け、また、"そのまま"ではなく巧みにアレンジを加えて取り込む感覚を持っているのが、パリであり京都の街であるような気がするからなのです。(もちろん他にも「個性」の大切さを尊重する、上記の様な、いい意味で“排他的”な街や地域は数多く在って、そんな場所ほど絵に描きたくなってしまうのですが…)

そんな両都市の二枚一組の絵画展示を通して、"遠いようで近い"人々の精神と、プラス"近いのに遠い"個性ある街の外見的な違いを楽しんでもらえれば…そして、街にとってであれ人にとってであれ、「個性」というものは大事なんだなぁと、思ってもらえたら嬉しく思います。

"人と同じでないと不安"、その延長線上には"皆が右を向いたら右"…といった感覚。それらも理解できなくはないのですが…。
街も人も、更には、国や文化だって、それぞれに「違う部分を認め合う」ことを基盤に持つことこそが、本当は大切なのではないでしょうか?
色々な争いごとが無くなるためにも。

…と、またしても大きな話になってきてしまい、恐縮です。
自分でも小恥ずかしくなってきたところで、筆を置くと致しましょう。

笹倉鉄平

2008年09月22日

残暑お見舞い


この写真は、先月訪ねたノルウェーのオーレスンという町の、ちょっと小高い丘の上で撮りました。
暑いので、せめて爽やかな写真でもと思いまして・・・

真夏にヨーロッパへ行く機会があれば、以前から訪ねてみたいと思っていた港街が北欧にいくつかありましたので、パリでの個展後の帰り道に立ち寄り、北の国の短い夏を味わいながらスケッチなどしてまいりました。

帰ってきた時は、気温や湿度の差に身体がすぐには馴染みませんでしたが、それでもやはり日本の夏はいいものです。
どんなに暑くてもそれを前向きに楽しもうと工夫された、日本独自の夏の風物(花火・盆踊り・浴衣・かき氷・水羊羹・そうめんetc.)は、他では味わえませんからね。

※     ※     ※     ※     ※

さて先日、お盆にお寺へ行った際、玄関の下足所に「照顧脚下(しょうこきゃっか)」と書かれた板が下がっていました。
玄関などでよく見かけるものですので、「足元が暗いから気を付けて」といった様な意味で掲示されているのかと思っていたのですが、お寺の方に伺ってみますと、禅の教えの一つとのことで、「他人の"足元"は見え易いから、つい批判的に見てしまうこともあるが、反面自分自身の"足元"は意外と見ようとしないもの。時折自分を顧みることも忘れないように。」という意味もあるのだということでした。

ハッとさせられるそのお答の内容に、勉強になる話を伺ったものだと、大変ありがたい気持ちになりました。
人は、経験を重ねてきますと、ついつい自分の考えこそが正しいと思い込んでしまう傾向があるように思います。
しかし、おのれの落ち度に気づきその非を素直に謝れる人に出会った時、無条件に尊敬の念すら抱くのは、恐らく、この「照顧脚下」が その人の身に備わっているからなのでしょう・・・なんだか、ストンと納得がいったのでした。

“昔の人は、ストレスをすぐに抱えてしまう我々現在人よりも、よほど物事がよく見えていたのだろうか?”
などと、思ってしまった夏の一コマでした。

笹倉鉄平

2008年08月19日

パリでの個展を終えて・・・

半月におよぶパリでの個展も、先日無事に閉幕し帰国しました。
いやぁ、それにしても毎日暑いですね。ヨーロッパの超乾燥した夏は、多少辛く感じる時もあり、確かに潤いを欲してはいました・・・が、この潤い過ぎ(笑)の猛暑は、旅の疲れもあるのでしょうが、正直なかなか身体に堪えております。
さて、前回先に戻るスタッフに託して"速報"をしてもらった、パリでの個展の模様、早速続きをお伝えすることと致します。

展示会場は、内部のお写真をご覧頂きました様に、大変古い建造物で、中世時代の石壁にゆがんで曲がった木の梁が何本もむき出しになって並んでいるような、趣深い空間でした。
その中に、パリと京都を描いた絵を展示したのですが、京都の風景も、違和感なく極めてヨーロッパ的なその環境にしっくりと収まっている様に感じられました。それは、もしかしたら私が"印象派の光の表現"に強く影響を受け、日本らしい情景にもその光を注ぎ込みたいと常に意識して制作をしてきた絵だったから(?)・・・であればよいのですが。
("印象派の光の表現"については、良い機会ですので是非お話をしたいのですが、今回は焦点がぼやけますし、長くなってしまいそうですので、近いうちにこのテーマに絞り丁寧に書かせて頂こうと思っています。)

ところで、私にとってパリの街というのは、ファッションや美食や歴史的遺産の街であるよりも、いつも"美術の街"という印象であり続けています。

ご存知の様に、印象派の舞台の中心は19世紀後半のパリでしたし、その後20世紀前半には、「エコール・ド・パリ」と呼ばれた、出身地も画風も様々な画家たちが世界各地からパリを目指して集りました。
イタリアからはモディリアニ、ロシアからはシャガール、そして日本からは藤田嗣治など、またフランス人画家であるルソー、ユトリロ、ローランサンら・・・この時代、パリという街自体が芸術を志す人たちにとっての"エコール(=学校)"だったのだと思います。

そんな多くのアーティストたちの活動の舞台であった街であり、絵の勉強を始めた少年時代からの思い入れ深い地で、自らの展覧会ができたことは、なんだかほんのちょっぴりだけ自分もその隅っこに仲間として身を置けたかの様に感じられて(独りよがりに過ぎないのですが)、なんだか感慨深いものがありました。

それよりも、日本人画家の一人として、京都の情景を通して日本独自の一面を、パリの方々に観て頂けたことの方が、むしろストレートな喜びでした。
今回の個展は「パリ・京都姉妹都市締結50周年記念」での開催でしたが、パリや京都の方々には勿論のこと、それ以外の出来るだけ多くの方々に日本文化や日本のことに興味を持ってもらうきっかけになることを願いながら制作をしてきました。
それが少しでも叶っているとよいのですが・・・。

会期初日には、フランス式(?)でのオープニング・パーティがあったのですが、絵画、工芸、写真など各分野のアーティストをはじめ、美術誌の編集長の方や美術愛好家、また在フランス日本大使館からは高原公使をはじめ関係者の方々、パリ在住の日本人画家、日本人会の方々、アメリカ等からの観光客、パリ郊外からもお手伝いに来て下さった地元の方々や在仏韓国人の方々・・・etc.と、出身国も様々な幅広い人たちがいらして下さり、"コスモポリタンな街・パリ"らしい展覧会だなぁと実感しました。

今回フランスで製作した個展目録に、筆ペンで漢字のサインをし落款を押したりしていると、珍しいのか閉会近くまで延々"にわかサイン会"となってしまい、上記の様な感慨をしみじみと味わう間もなく時間はドンドン過ぎ、後で思えば、少し寂しかった様な気もしています(苦笑)。

この時の様子や感想のインタビュー等は、スタッフがビデオに収めておりましたので、またきっと編集して、この後の再現の展覧会で見せてくれることと思います。

この個展の開催に際し、京都市役所・国際化推進室の皆様には企画段階から長々とお世話になり通しでした。
パリ市とのやりとりや現地でのコーディネイト全般をして下さった松本さんとスタッフの方々、会場展示での細かい部分までご配慮頂いた早崎さん親子、お力添えを下さった在フランス日本大使館の関係者の皆様、企画スタート当初より暖かいご協力を頂きました内田会長と山野さん、また、京都商工会議所の福永さんは、何かにつけ快くご相談にのって下さいました・・・・・・ここに全ては書ききれないほど多くの皆様の支えがあってこそ、と振り返っております。
こういった活動の度に、多くの方に助けられることへの幸運を実感し、感謝せずにはおれません。
そして、今これをお読み下さっている、いつも応援を頂く方々へは勿論のこと、皆々様へ心から御礼申し上げます。

※     ※     ※     ※     ※

この暑さは暫らく続くことでしょうが、皆さん熱中症などに気をつけて、無理はしないようにご自愛下さい。
私も、少しは"ご自愛"しつつ(笑)、このハードそうな夏を乗り切りたいと思っております。

笹倉鉄平

2008年07月28日

パリでの個展、速報‼

これまでの海外での展覧会は、場所・日程などがある程度前からきちんと決定しており、イメージや会場の広さから、展示する作品数や並び順までじっくりと考え、目録には会場写真まで掲載したり、告知ポスターを製作したり等々コツコツと準備を進めてきたものでしたが・・・

今回の個展は、様々な事情から、土壇場ギリギリのタイミングで場所&日程が最終決定した為、かなりドタバタの準備と出発でした。
勿論、展示作品図録の製作など前もって出来るところまでの準備は進めていたのですが、想定していたよりも会期が前倒しになったりしたものですから、運送の手配や現地コーディネーターとのやりとり作業など、当然国内での展覧会準備以上にやる事が多く、結構冷や汗ものでした。
結果、なんとか形になり、今は嵐を通り越して半分気が抜けたような感じです。

 

<スタッフより>
パリ4区、古く美しいパリの街並を今に残すマレ地区のヴィラージュ・サンポール内にて、鉄平先生の個展が開催されました。
個展のタイトルは“Reflet Paris, Kyoto”。 仏語で Reflet (ルフレ)とは鏡や水に映る影や像のこと。
日仏修交150周年。そして京都とパリが姉妹都市を締結して50年。遠く離れていながら両都市に住まう人々の心が育んできた似たような情景を、鉄平先生の世界観がまさに “Reflet” のように結びました。
7月2日に開催されたオープニングでは、あいにくの空模様にもかかわらず多くの美術ファンが訪れ、鉄平先生との会話を楽しみながら作品を堪能していました。

今年は、日本とフランスの修好150周年の年ですが、首都であるパリと日本の京都が姉妹都市となってちょうど半世紀・50周年を迎える年でもあります。
そんな記念すべき年に、ありがたくも京都市からご後援を頂き、印象派の絵に衝撃を受けた少年時代からの憧れの都パリで個展を開催できるというのは、身に余る光栄でした。

今回は、「京都市・パリ市姉妹都市盟約50周年」を冠しての個展でしたので、パリと京都の風景を描いた絵だけを集めて展示することにしたのですが、この個展に展示した作品での展覧会を、秋以降日本に戻して開催できるよう、現在準備を進めております。
必ずオフィスのホームページ内「個展のご案内」のコーナーにて、恐らく9月頃になると思いますが、お知らせ致しますので、ご興味のある方はまたチェックしてみて下さい。

取り急ぎ、とにかく「速報」させて頂きましたが、私は制作の為パリを離れ次なる地へと移動致しておりますので、詳しいお話はまた帰国してから、この頁にてさせて頂きます。

笹倉鉄平

2008年07月07日

版画「芸術橋の上で」の作業中です

ここのところ取り組んでいた作品がいくつかあったのですが、ようやくそれらが仕上りましたので、暫らくぶりでこの頁を書くことに致します。

現在は、先日オフィスの方で発表がございました版画の「芸術橋の上で」に、アクリル絵の具で小さな加筆をしている真っ最中です。

版画のインクとアクリル絵の具は、画面上での質感が違いますので、加筆部分だけがあまり目立ちすぎてしまわない様に、まずは刷り上った版画にバーニッシュ(=版画の表面を保護したり光沢の為に載せる透明のニスの様なもの)をかけずに工房から預かり、絵を描き入れた後、再度工房へ持ち込みバーニッシュの処理をして完成させてゆきます。
つまり、そのバーニッシュ・コートによって、手描きした小さな小さな原画部分も保護される効果があるわけです。

版画の表面というのは、とてもデリケートなものですから、鉛筆や消しゴムなど当然使うことが出来ませんので、下描き無しで細い筆を使って直接描いています。
失敗出来ないという緊張感と、画面の他の場所に絵の具を付けたり、手で汚したりせぬよう注意したりと、想像以上に神経を使います。

しかし、それ以上に予想外で大変なのが、描き入れる人物などの絵のパターンを150通り全て違うものにしてゆくということです。
自分なりにストーリーを感じることが出来る様に人物や犬などの設定を考えてゆくのですが、その新しいアイデアが浮かぶと、静かにガッツポーズをしつつ、何だかホッとして画面に描いていっています。

また、一枚一枚それぞれに差が出ないように、バランスが均等になるように同じくらいの時間をかけて描くようにも心がけています。
元はといえば、「一枚づつが部分的にちょっとずつ違う版画があったら、おもしろいのでは?」という好奇心に後押しされて始めたことでしたし、限定数も通常よりかなり少ない枚数にしましたので、大丈夫かなぁと考えていたのですが、紙の上と違って何度も同じ箇所を重ね塗りしますので、時間が思いの外かかってしまいます。

"新しいことをやってみよう"という精神が、常に自分の制作モチベーションにもなっているのですが、今回は少しだけ読みが甘かった感があります(笑)。
恐らく、今回の様な形の版画は今後もう作らないと思いますが、挑戦してみようと思ったからには、パリでの個展開催の記念(というか記憶)に結びつくものになるように、前向きに集中して、ここ暫らくの間はこの作業を続けたいと思っています。

笹倉鉄平

 

P.S.つい先日、1月に訪ねたカンボジアの学校の子供達から「頂いたクレヨンを使って描きました」と、たくさんの絵が日本に届きました。
子供達から、またこうして"元気"をもらえました!!

2008年06月09日

“うちのオフィス”の仕事

この度「Teppei.Net」は、大幅なリニューアルとなりました。
大々的な改装で、コンテンツなどの移動もありましたので、少々戸惑われたのではないでしょうか?

これまで、こちら(画家・笹倉鉄平の公式ホームページ内)に入っていた新作版画の紹介や個展案内などは、私のオフィスである㈱アートテラスのホームページの方へ移動となりました。
つまり「Teppei.Net」は、より画家個人として関わる内容に比重を置き、皆様に絵を楽しんで頂く為のエンターテイメント性ある内容の方(オフィスが中心となって行う活動に関するコンテンツ)はオフィスのページへ移り、"本来あるべき場所にあるべき項目を置くことが出来た"と、感じて何となくスッキリしております。

ご覧頂きました通りTOPページには、本来画家の顔であるべき"絵"を、自ら選び出すその時どきの「今の気分の一枚」として、近況等の一言を添えて載せてゆこうと考えております(たまには描きあがったばかりのスケッチなども紹介してみたり…ライブ感が出せればいいなぁと思い立った次第です)。
また、既存の「フォト・アルバム」については、オフィス・ページのTOPへ移って同じ形で掲載されることになります。
今までは、自分のホームページの表紙にバーンと自身の写真があること自体に、気恥ずかしい様なむずがゆい様な抵抗を、少々とは言え感じ続けておりましたので、この移動で気分も随分と落ち着きました(笑)。

他にも大なり小なり変わっている部分はございますが、㈱アートテラスのホームページ共々、今後も引き続きよろしくお願い致します。
ところで、たまにではありますが、私のオフィスって"どんなことをしているのですか?"といった質問を頂くことがあります。
いい機会ですので、ごくごく簡単にですがお話しておきます。

例えば、"展覧会を開く"という活動の部分ひとつだけをとってみましても・・・場所の確保や会場側とのやり取りに始まり、会場設営と展示設備の準備・手配、さまざまな形での告知・案内作業、作品やグッズ類の荷造りと搬送、搬入・飾り付け、会期に入れば、作品の管理やお客様への諸々の対応、終われば撤収作業と後片付け…などなど細かく挙げればキリが無い程、一回の展覧会開催でも、そこには力仕事を含む多くの業務が控えています。
(それこそ、学園祭での展覧会レベルならば自分一人で作品の展示~撤収まで面倒を見られましたが、現在では、したいと思っても易々と出来る作業量ではありません。)

他にも大きな仕事として、版画の制作と管理、いわゆる"版元"業務があります。
オフィスから版画工房へ制作を依頼し、私自身もその過程で確認を行いつつ完成させてリリースを行う――則ち各版画の出版元となっております。

まだまだ他にも、作品の著作権管理、マネージメント業務、当ホームページの運営等々、細かい仕事は多岐にわたり、私だけでは出来るべくもない仕事をスタッフ達がこなしてくれているおかげで、日々の絵画制作に集中出来ているわけです。
更に、一人でも多くの方に「絵を観て楽しんで頂きたい」とどれだけ願ってみても、オフィスの働き無くしては、現状の様に皆様に絵を観たり・知ったりして頂く機会すら無くなってしまうということなのです。
そういった意味では、「版画ミュージアム」と「ちいさな絵画館」も、画家としての活動を支えてくれている頼もしい存在となっています。

そもそも「アートテラス」と名付けたいきさつはと申しますと・・・"アート"は勿論、「芸術」から。"テラス"は"terrace"で、元々の意味である「土を盛固めて造る台地・段地」が、地面にしっかり足が着いている感じがして気に入り、二つの単語をくっつけて作りました。
そしてもう一つ、"テラス"の読みの音が日本語の"照らす"に通じていて、人の気持ちにアートで光を"照らす"という、大きな理想と願いも込めました。
駄洒落みたいな上に、なんとも厚かましい理想ですよね(笑)。

私と"うちのオフィス"の間柄、なんとなくお分かり頂けましたでしょうか?

それではまた、今回の大改装(?)への感想なども含め、今後も引き続き質問や作品への感想等お寄せ頂けますと大変嬉しく思います。
以上、リニューアルに際して取り急ぎ。

笹倉鉄平

2008年04月01日

「MUST 変換⇒ TRY」

昨冬が暖かかったせいか、この冬はやけに寒く感じますし、梅の便りを聞いた後も、天候的に荒れ模様の日が多かったように思います。
本番の春もやや足が鈍りがちのようにも感じてしまう今日この頃で、なんとなく焦らされている気分でもありますが、必ずやって来るうららかな春の到来を楽しみに待つこととしましょう。

このページをなかなか更新できなかったのは、ここの所ほとんどアトリエにつめて制作にドップリ浸かっていたせいもありました。
だからと言って、シビアな状態でそうしているわけではなく、自分にとっては贅沢にも思える様な"制作三昧"な毎日なのです。
以前にも書きましたが、冬場は特に、野外でスケッチをしたり活動的に取材に出かけるのには向いていません(気分的にも身体的にも)。ですから、この時期は大抵、自身で設けた制作の課題と集中して向かい合う"おこもり期間(?)"となることが多いのですが、それはそれでまた良いものなのです。

具体的には、挑戦してみたかった題材やテーマなどにまとめて取りかかったりしています。
「挑戦しよう」という気持ちをもって筆をとることが楽しくて、気分的な疲弊はほとんどありません(肩や腰は疲れてしまいますけれども(笑))。
何事も"~しなくてはならない"という感覚で臨むと、どこか息苦しく瞬発力が鈍ってしまいがちですが、とにかく"やってみよう"という気持に置き換えて事に当たれば、意外なアイデアもその経過の中から浮かんできたりして、むしろ大正解になることの方が多かったからです。

二十代の頃には、広告業界の過酷な締め切りに常に追われていましたので、「MUST(せねばならない)をTRY(してみる)に変換する」を、座右の銘にしていました(仕事以外の事柄でも)。
初めはなかなか上手に置き換えられず難しかったのですが、繰り返し繰り返し頭の中で変換作業をしているうちに、癖の様に身についてしまい、今では新しいことに取り組むこと自体がパワーの源になっているようにさえ感じます。

結果は考えず、とにかく手をつけ始めてみて、ダメなら途中で何回でも修正や方向転換をしてゆけばいい――そうこうしていると、だんだん納得のゆく絵に仕上がっていってくれるものです。
描き始める前から、それを芸術作品としてシビアにとらえ、百点満点の完璧な作品に仕上げなければなどと意識をしたら、筆なんて全く動かせなくなってしまうでしょう。とにかく描き始めてみようの繰り返しです。
それは決して絵の制作に関してだけではなく、さまざまな仕事のシーンでも似たような所があるように思えて…。

ところで、油絵の具は乾かないと上から描き直しづらい為、今は珍しく描きかけの状態で大小3枚もが並んでおり、とっかえひっかえして描いております。
ですから、まだしばらくは、そんな"お絵かき三昧"の幸福な状態(笑)が続きそうです。

というわけで、今回は文字通りの『アトリエから』でした。

笹倉 鉄平

2008年03月06日

カンボジアでの休日

今年はお正月休みを少し後ろへずらし、先週一週間カンボジアへ行っておりました。
未だ内戦の爪跡残るカンボジアは、現在、外務省の海外危険情報で一部地域を除き「充分注意」レベルとされており、治安状況に多少不安はありましたが、世界遺産であるアンコール・ワット周辺やその観光のベースとなる街シェムリアップは、世界中からの観光客で大変にぎわっていました。

私自身、ずっと以前から一度アンコール・ワットを始めとするクメール文明の遺産を訪ねてみたいと思ってはいたのですが、何しろ政情不安が長く続いていた為、ついつい行きそびれて今に至っておりました。

今回、カンボジアを訪問したきっかけはと申しますと・・・内戦で親を失くした子供たちや学校へ行く余裕がない子供たちへの支援活動を、平素よりお世話になっております知人の方々が中心となって長い間しておられ、私も2006年から微力ながら参加をさせて頂いております。

「支援の物資を日本から送っても、無事に相手に届かないことが多いので、直接手荷物として持って行っているのですが一緒に行きませんか?」というお誘いを受け、この度同行させて頂きました。
日本から9人、それぞれが中古のラップトップ・パソコンを一台づつ携え、他にも学用品・医療品などを手持ちされ、皆の手で確実にそれらを渡すことが出来ました。

学校や孤児院へ行って子供たちに直接会える折角の機会ですので、画家としては何を持って行くのが適当だろうかと考えたのですが、子供の頃に綺麗な色が並んだクレパスの箱を手にした時の喜びを未だに忘れられないこともあって、クレパスを持って行くこととしました。

同行の皆様にもお手伝いをして頂きながらクレパスを200箱運び、子供たちひとりひとりに手渡していったのですが、その時の子供たちの透き通るような瞳の綺麗さと笑顔に心を打たれ、逆に美しい宝物をもらったような気持ちになりました。

こうした日本人援助による学校や他の形での支援活動は様々にあるようですが、訪ねた学校は、アンコール・トムという世界遺産の広い敷地の林中にあり、現在180名ほど(年々増えているとのこと)の子供たちが通って来ている所です。

現在のカンボジアは政情も安定してきているとはいえ、内戦の時代に、家族、衣食住、教育、果ては文化、伝統までも奪われ、その傷跡が深く人々の間に残ってしまいました。
それでも、たくさんの子供たちが(人口の約半分が16歳未満)、貧困と愛情や精神的な支えが欠如している中にあっても、頑張ってたくましく生きているのです。

そんな様子が、下の写真から少しでも伝わればよいのですが・・・

▲今回の主催者、京都青果合同㈱の内田会長を出迎える子供たち

▲長く本活動をされておられる山野エミール氏をはじめ、参加者全員で子供たちにプレゼントを渡す

▲この活動の発起人ベルトー氏、現地の先生と一緒に子供たちが描いた絵を見る

▲唯一ここだけが四方にちゃんと壁の在る教室

▲奥に見えているのはバレーボールコート(一見、校庭のようには見えませんが) 

▲シェムリアップの街に在る「スナーダイクマエ孤児院」 <http://www.snadai.com/> の子供たちと


この記事をお読み頂き、活動にご賛同下さる方もいらっしゃるかと思いますので、今後何か良い方策がないものかと思案中です。

しかし、画家・笹倉鉄平を色々な形で応援して下さっている多くの方々が、実は私を通じてこの活動の一端に既に参加して下さっているのだと思うのです。
それをご報告したかったのが今回の主旨でした。

笹倉鉄平

2008年01月24日