アトリエから 2005一覧

行く年、来る年


2005年も、皆様の応援のおかげで、何とか無事に乗り切ることが出来ました。

来る2006年も、走り廻る仔犬達のように明るく、また心穏やかな良い一年となります様、

スタッフ共々感謝を込めてお祈り申し上げます。

笹倉 鉄平

2005年12月21日

"夢”について思うこと

フィレンツェでの個展を再現していただいた一連の展覧会も無事に終了し、今は肩の荷をおろした気分です。
各会場にわざわざ足を運んで下さった皆様、ありがとうございました。
また、たくさんの感想・応援メールをいただきましたことも、この場を借りて、心よりの感謝と共に御礼申します。

各会場で、マイクを手に今回の趣旨や絵に関する話を少しすることとなりましたが、お伝えしたかった事をうまく話すことが出来ず、毎度の如く少々自己嫌悪に陥っておりました(笑)。
しかし、言葉で出来ないからこそ、絵を描いて表現しているわけですから、"仕方がない"と思って下さい。いずれにしろ、人前で話をするのは画家本来の仕事ではないわけですから、これまた毎度の如く"致し方ないな"と、自分を慰めています。
そんなわけですので、今後も期待しないで下さいね(笑)。

兎にも角にも、長々とこのページでも話題の中心にあったフィレンツェ個展も、こうしてようやく一段落致しました。

 

先日、オフィスへ一冊の本が届きました。
菅原亜樹子氏編著による「夢さがし」という本です。

現在各界で活躍されている16名の方が、子供たちや若い世代へ向けて、"夢を持って生きること"への思いを、それぞれの経験や展望に基づいて語ったインタビューをまとめた本です。
かく言う自分のインタビューも掲載されており、自身でもこの本(他の方の記事)を読んでみました。
共感出来る部分がたくさんあることに、どことなく安心すると同時に、その人なりの意志や方法論は、それぞれに異なっていることにも納得が出来て、更なる勇気と元気をもらえたように思いました。
よろしかったら、読んでみて下さい。

★夢さがし(こうして私は自分と出会った)★菅原亜樹子編著★芸文社★1,500円+税
★宮本亜門さん(演出家)、安藤優子さん(ニュースキャスター)、伊達公子さん(テニスプレイヤー)、秋本康さん(作詞家)ら16名が「夢」についてインタヴューに応えています。


さて、そこで今回はその"夢"(勿論、就寝中にみる方でなく)について、思いついたことを・・・と、思ったのですが、"夢"と一言に言っても、あまりに幅が広い言葉で、その定義・解釈の難しさに改めて思い至りました。
ですから、"幸せ"の価値観や意味が百人百色であるが如く、"夢"に対する思いも一人々々違っていて当然です。
つまり、人が抱いているものに対して、私が物申すなど、おこがましいばかりなわけです。

ただ、先出の本に載っている自分のインタビュー内容の補足の意味も込めて、あえて自分なりに感じている"夢"感を、この機会に少し書いてみます。
「画家になるのが夢です。(+どうしたらいいでしょう?)」というお話やメールを随分多くの方々からいただきます。
その全員の方が、画家になれたらいいなぁとは思うのですが、インタビューでは「画家になることを職業としての目標にせずとも、趣味として楽しむ方が、純粋に"絵を描くこと"を楽しめていいかもしれない」といった様な、少々"夢のない"こと(?)を言っています。

これは、客観的に見て‘職業としての絵の世界’というのが、社会において多種多様で幅広い職業と比べると、想像以上に小さくて少々特殊な世界であることを鑑みてのことなのです。

例えば、‘映画’で考えてみましょう。
観る側にいれば、勝手にあーだこーだと評論しつつ心から楽しめますが、制作側の現場では、大げさには人生を賭けて作っているような場合もあるわけですから、それはそれはハードなわけです。
そして、その評価や成功の可否は、完全に観る側に委ねなくてはならないのですから、制作側の抱く"夢"はどんな形であっても、大いなる試練にさらされることになります。
また、内容がさほどでなくとも有名な監督やスターと、多大な予算でなんとかなってしまう映画もあれば、珠玉の作品なのに単館上映で細々としか公開されない、といった矛盾は多々あったりするわけです。
この様なケースは、世の中他の業界でも山ほどあるわけですが、そんな厳しい矛盾にさらされて、"夢"には折り合いをつけ、大きな潮流に流されてしまうか、それとも、あくまでも"夢"を追い続けるのか――ここでいう後者の"夢"が、自分が抱いている夢に近い気がします。

とかく、世の中「夢=(イコール)職業」的な捉え方をしている場合が多い様に感じるのですが、この考え方には、どうしても疑問を抱いてしまうのです。
それは、あくまで目標であって、どこか夢とは違うものではないかと感じてしまうからです。
"夢"は、"叶った"り、"あきらめた"りする類のものではなく、いつも、胸のどこかにあって自分を照らしてくれるものではないかと思います。

かつて私は、小学校の卒業文集の寄せ書きに、意外にも「将来の夢は"宇宙飛行士"」と書いています。
疑問も邪推も思惑も何もかも取り払った純粋な"夢"。
それは成長にともなう経験や知識によって、取捨選択され、失くしては次が生まれ・・・求める幸福の形や価値観が変化してゆく様に、次々形を変えてゆくケースの方が多いでしょう。
画家を目指して美術関係の進路へ進みながらも、その後他の職業に就き、素晴らしい絵を描かれている方も大勢いらっしゃいます。

しかし、内容がどう変わろうとも、"夢"は常に自分の中に存在し得ますが、上述の"目標"は見失ったり破れたりすることも多々あり得るわけです。
そして、そういった挫折や失敗が、更に内なる"夢"に磨きをかけ、強く確かな拠り所となっていくように思うのです。
たとえ、"目標"には見放されることがあったとしても、あせらず悲観せず、"夢"を片手に、今やるべき事を着実に続ければ、自ずと先が開けてゆくのだと、私は信じています。

また、"夢"("目標"も含めて)が、幼い頃に自然に見つかる人もいれば、遅くなってから思いもよらない機会に見つかる人もいると思います。
時期やきっかけも様々で、どちらが良いとか悪いとかではないと思うのです。
そこに向かって進んでゆく過程で、磨かれ成長することが自身の宝物になってゆくのであれば、"夢"というのは、近づくことは出来ても、手に入れられないものにしておく方がいいのかもしれません(笑)。

・・・嗚呼、このお題は、やはり難しいです。
支離滅裂なくどくどしい文章になってしまいました。
思うままにダラダラ言っているだけですので、これに左右されることなく、"へぇ~"と読み流して下さい(笑)。
とにかく、人それぞれ、特に子供たちや若い人には、"豊かな"夢を持って欲しいと思います。

もうすぐ、新しい年がやって来ます。
新年は、自分の意識のリセット・タイミングとしては、良いチャンスですから、いやな事は忘れて、新しい目標や夢に向かってがんばってゆきましょう。

笹倉 鉄平

2005年12月06日

フィレンツェ個展、ご報告(前回"速報”の続きです)

フィレンツェでの個展も、多くの方々のご協力と皆様の応援に支えられ無事に終了し、ようやく肩の荷を下ろすことが出来ました。
直後は、大げさに言えばちょっとした放心状態に近い状況でおりましたが、滞在中に束の間の休みをとることも出来ましたし、気力回復後は毎度の如く、制作の為の旅をしてまいりました(その話はまたの機会に・・・)。

少し前に帰国していたのですが、個展の事後処理や溜まっていた用事を片付けながら時差調整などをしていた為何かと忙しく、このページに個展の報告をするのが少々遅くなってしまいました。
今はすっかり普段の制作モードに戻っております。
しかしながら、カレンダーに目をやれば・・・「今年もあとこれだけしかないのか!!」と、驚き慌てあせり気味になったりしましたが、帰国後の軽い"浦島太郎症候群"的な症状には、現実にグッと引き戻される良い薬でもありました(笑)。

さて、話を戻しまして、フィレンツェでの個展のご報告の続きをしておこうと思います。
8月の末頃に現地入りし、日本からの作品や備品などのチェックを行い、まずは一安心したものの、フィレンツェの街角で個展告知のポスターや横断幕を見てはハタと緊張し、会場でのパネル設営の順調な進展状況にはまた安堵し、翌日、会期前日だというのに係の方がそのパネルにまだペンキ塗りをしているのを見てまたまた不安になり(超速乾性ペンキだったので勿論大丈夫だったのですが)、自分は自分で、パネルの長さの都合で、当初考えていた通りの順番に作品を展示出来ず、かなり考え込んでしまった結果、時間が押せ押せになったりと、気分的には上を下への大騒ぎ(笑)だったかもしれません。

それでも、マケドニア(旧ユーゴスラビア内)での自分の展覧会後、わざわざ手伝いに来てくれた画家の柏本くんをはじめ、協会の松浦さんや、現地レストランのシェフ三曳(みつびき)くんら関係者の献身的なご協力で、市主催のレセプションの時間までに、無事余裕をもって展示作業を完了出来ました。
その頃、丁度のタイミングで、フジテレビのスタッフの方々が会場に到着され、きちんと整った会場の様子などを取材して頂けました。

フィレンツェの個展会場で取材を受ける笹倉

ところで、このところ『昨年のような再現展はないのですか?』といった質問を、皆さんからお寄せ頂いているようです。
昨年と形は少々変わりまして、今回はフジサンケイグループのディノスさん(通販などでおなじみですね)の主催により、フィレンツェでの個展を日本で再現して頂けることとなりました。(11月半ばから、東京・名古屋・大阪にて)

また、現地では「il Corriere di Firenze」という新聞の文化欄にこの個展の記事が掲載され、それを見て多くの市民の方々にもご来場頂けました。
また、今回のテーマであった「姉妹都市であるフィレンツェと京都、西と東で文化の形や表現は違えど、人々の心の芯にあるものはそんなに違わない」といった事を、予想以上にちゃんと伝えることが出来たようで、何より嬉しく印象的でした。

両市とも、街の中を横切るアルノ川と鴨川という河をそれぞれに擁し、地理的には盆地で、"夏暑く・冬寒い"という決して恵まれていない条件を克服し、古くから各方面の伝統ある職人技が息衝いてきた、伝統ある古都です。
考えれば色々共通点は多いのですが、そんな中最も印象的なのは"人の気質"が似ているように思える点です。
特に、外から入って来る新しいモノや、価値観が違うモノなどに対する凛とした姿勢などにそれを感じます。

外側から、経済的な大きな流れが入ってくると、街は短い時間でどんどん現代的な姿に変えられていってしまいます。
つまり、伝統ある昔ながらの小さな店や、家族で営む職人さん達というのは、そういった大きな流れに抗えず押し流されざるを得ないものです。外から流入してくるものに対して、時には厳しい目で注視し対応していかないと、伝統ある美しい古都の姿は守れないということなのでしょう。

古くから続く習慣やしきたりがひとつ無くなるだけでも、それに付随していくつもの大切な"何か"が失われてゆくのが現実です。
だからこそ、何でもかんでも手放しで受け入れてゆくことに対して、危機感を持つことが必要だということを示すその姿勢に、拍手を送りたいと思うのです。
反面、外来の新しいモノには、生活を楽しく新鮮にしてくれる側面も無論あり、それも重要であるわけですし、"利便性"を筆頭に、現代を生きてゆく上で必要不可欠な要素も多々ありますので、一概には判じられない非常に難しい問題であるとは確かに思います。

しかし極端に考えると、"経済性"や"利便性"だけを考慮無しに最優先すればするほど、世界中の街の個性は無くなってゆき、どこも似たような姿になっていってしまうのではないだろうかと想像しては、勝手に心配してしまうのです。
京都市内でも、多くの町家の姿が消えゆきつつある中、その独自の造りを活かした飲食店や店舗が人気を得て"町家ブーム"なるものが起きつつあることは、ある種喜ばしいことだと思います。
そういった部分で、新しいものを受け入れる際に、常に"街の個性(=心?)"を大切に守りながら消化し、更に地場に根付かせるやり方の巧みさは、京都・フィレンツェのみならず、歴史ある古都の誇りを守り続ける市民たちに、それぞれ共通するDNAのなせる技なのかもしれません。

イタリアでも各地で「フィレンツェ人は"排他的(?)"」風な発言を耳にしたことがありますし、日本でも、京都の住人というと、同じようなことを言われているのをやはり聞いたことがあります。
そういったことを見聞きする度に、上の様な理由から、むしろ"そうあって欲しいし、それが正しい"と、最近は思うようになってきました。

そして、この両都市のみならず、世界各地の大小様々な古都の魅力というのは、決して"歴史の古さ"だけに止まらず、まさにその"個性"の部分でもあり、そこに惹かれ、それを楽しみたいからこそ、多くの人々が訪れるわけです。その"個性"を上手に守り、アピール出来ている所ほど成功した街(や村)になっているのだと思えてなりません。(例えば、日本の決して古都とは言えない観光地などでも、そういった独自の個性や伝統を守る努力が見える所ほど、観光的には成功していると感じませんか?)

もしかしたら、こういったことは、人や他の分野でも似たようなことが言えるのかも・・・などと考え出すと、終わりがみえなくなってきます。この辺で止めておきましょう、自分には文化論的な話は似合わないことは、よくわかってますから(笑)。

笹倉 鉄平

2005年10月20日

フィレンツェ個展・速報!

ふぅーーーーーーーーーーーっ。。。
以前、このページでお伝えしていたフィレンツェでの個展が無事終了しました。

9月1日に実施されたフィレンツェ市主催の公式レセプションでは、フィレンツェ副市長のエウジェニオ・ジァニさん、イタリア.フィレンツェ.日本.文化経済交流協会会長のレジーナ・シュレッケルさん、そして、フィレンツェ・アカデミア美術大学教授のヴィンチェンツォ・ビアンキ先生らから、ありがたくもお言葉をいただき、またその他にも100名を超える方々のご列席をいただき身に余る光栄でした。

一般公開された翌日(2日)からも、たくさんの市民の方や現地にお住まいの日本人の方、各国からのツーリストの方々にご来場いただき、嬉しい限りでした。
それに、日本からわざわざお越しくださった皆さん、どうもありがとう。

帰国はまだ当分先になりそうですので、簡単ですが、取り急ぎご報告まで。

笹倉鉄平

フィレンツェ市主催の公式レセプションの様子

右から、★レジーナ・シュレッケル女史(イタリア.フィレンツェ.日本.文化経済交流協会会長)
★エウジェニオ・ジァーニ氏(フィレンツェ市 副市長)
★笹倉鉄平
★ヴィンチェンツォ・ビアンキ教授(フィレンツェ・アカデミア美術大学教授)

会場はフィレンツェ中心街に位置する中世の建造物Palagio di Parte Guelfa (パラッジョ・ディ・パルテ・グェルファ) 内 Sala Brunelleschi (ブルネレスキの部屋)。
イタリアでは、まだヴァカンス・シーズンが続いているにもかかわらず、多くの方々が会場を訪れました。

2005年09月08日

そろそろ出発します

残暑お見舞い申し上げます。

お盆も過ぎ、まだまだ暑い日が続いていますが、皆様夏バテなどせず、お過ごしでしょうか?
この夏は、前回お話した、迫ってきたフィレンツェでの個展準備やその制作で、いつに無く慌しい毎日を送っており、またもこのページの更新が滞り、ご無沙汰してしまいました。

先日、出展作品のほとんどを、イタリアへ向け発送しましたが、少しだけですが残り時間がありますので、まだ今も制作を続けており、それらはどうやら"手持ち"で一緒に旅立つこととなりそうです。

昨夏は少々夏バテをしてしまいましたが、今年はこんな状況で、気持ちが張っているせいか、この暑さ・湿気にもめげずに元気で頑張れております。
いわゆる夏休みも、ここ何年かとっていませんが、多少スケジュールはきつくとも、こうして絵を描けること、そして描くことに集中させてもらえる状況にあること自体、画家として幸せなことですので、むしろありがたく思っています。

皆様からは、「フィレンツェでの個展の成功をお祈りします」といった内容の応援メールやお声をたくさん頂戴しており、いつもながら感謝、感謝です。
今回の展覧会は、ここまで漕ぎ着けるのに苦労や失敗もありましたし、何より多くの方々にご協力を頂きましたので、私としても、なんとか成功させて皆様に良いご報告が出来ればと願っております。

しかしながら、「世の中なるようにしかならない」ものですし、また、「自分の思い通りにはならないのが世の常」でもありますから、過剰な期待はせずあくまでフラットな気持ちで臨むつもりでいます。
・・・などと言うと、何やら後ろ向きの姿勢の様に聞こえてしまうかもしれませんが、目標を達成させる為に、これらの言葉には、実はいつも救われてきました。
厳しい現実の中、何か一つでも、どんなに小さな事でも、やり遂げた事への喜び―結果の良し悪しではなく―その繰り返しで前へ進んでこれましたし、今もまだまだその途上です。
夢をあきらめて、より等身大へ近づけた新しい方向へと進んだことで、夢の実現に、実は近づけていたことだってありましたから。

それでは、時間がとれるようでしたら、現地からの最新の写真などもこちらに掲載したいと思っています。
・・・今はまだ追い込み作業中の身ゆえ、これにて取り急ぎ失礼致します。

笹倉鉄平

2005年08月22日

イタリア、フィレンツェでの個展‼

皆様、つつが無くお過ごしですか?
このページの更新が、またもや随分ご無沙汰になっておりました・・・と、いいますのも、私の夢であったイタリアの芸術の都フィレンツェでの個展が、今年実現する運びとなりました為、諸々の具体的事項が春頃から次々決定し始め、その対処と制作でずっと大変慌しい日々だったからなのです。

ここまで漕ぎ着けるのに、開催日程の変更や会場の選定などの不確定な要素が多く、皆様になかなかお知らせ出来ない状況が続いていました。
しかし、やっと詳細をお伝え出来る段階まで来れたようで、嬉しく思っています。
(一重に、フィレンツェ.日本.文化経済交流協会、会長のレジーナ・シュレッケルさん、同副会長の野村是さん、そして、現場で多大なる労力を費やして下さった松浦真純さんのご協力の一言に尽き、この場を借りて心からの謝意を表したく思います。)

また、昨年のイタリア・レカナーティ市での個展をプロデュースし成功へと導いて下さった、フィレンツェ・アカデミア(ヨーロッパ最古の美術大学)教授であり、自らも優れたアーティストであるビンツェンツォ・ビアンキ先生が、今回も監修を引き受けて下さることになっており、これにも感謝感激です。
ビアンキ先生曰く、「ここフィレンツェは、イタリアの中でも特に芸術を見る目が厳しい。」とのことで、早速いい意味でのプレッシャーを与えて下さいました(笑)。

しかし、考えてみるとそれもそうでしょう・・・皆さんもご存知と思いますが、フィレンツェの街は、ルネッサンス美術の名だたる巨匠達―ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロら多くの芸術家が、メディチ家の擁護などのもと、目を見張るような活躍をした舞台でした。
そして、"暗黒の中世時代"から脱却し、人が人らしくその生を謳歌する人間復興運動でもあった"ルネッサンス"は、この街で生まれ、その後広くヨーロッパ世界へ伝播してゆくことになりますが、その頃から脈々と芸術都市としての歴史・文化とその誇りを、育んできた場所であるわけですから・・・。

初めは、そんな地で個展を開く事自体が、私にはとても恐れ多いことで、不安にもなりました。
ニュアンスが随分違うかもしれませんが、例えば、野球の本場アメリカ・大リーグでバッター・ボックスに初めて立った頃のイチロー選手や松井選手達も、こんな気分だったのだろうか???などと、幾分突拍子も無いことを考えつつ、身が引き締まる思いで現在も作品と格闘しているのですが・・・。

そんな中、私にとってある意味"救い"となったのは、今年2005年が、フィレンツェと日本の古都・京都の、姉妹都市締結40周年にあたる記念の年であったことでした。
京都の街ならば、まだ市電が街中の道路を走っていた時代から、馴染みがありましたし、それこそ高校生の時分から京都の絵を描いていましたので(現在も描いてますが)、この切り口であれば・・・私にも、なんとかひとつの展覧会として成立する制作展開が出来るのではないかな、と思ったわけです。

京都とフィレンツェが姉妹都市というのは、私には不思議なくらい納得のいく話です。
京の都の歴史は、794年("ナクヨウグイス平安京")に始まり、その後千年以上(江戸遷都まで)"帝おわす都"として、ずっと日本の文化・芸術を担う地であり続けているわけですから、京都だって歴史都市として、決してフィレンツェに負けていないと思っています(笑)。
そこで、フィレンツェの人達に、世界の東と西に遠く離れた両市において、その形や表現は異なっても、そこで生活を営む"人々の心"というものは、そんなに違うものではないのだという事を、作品から感じ取ってもらえたら・・・また、京都に、(しいては日本の文化に)興味を持ってもらえる機会となれば・・・それだけでも、展覧会を開く意義は充分にあるのではないか――そう思えたことで、重くのしかかっていた肩の荷も少し軽くなったような気がしたのです。

また、"絵の世界"の方へと目を転じると・・・
「京都」といえば・・・そこには伝統的な「日本画」という流れが厳然とあり、その歴史はこの先も引き継がれ大切に護らてゆくでしょう。
そうあるべきであり、それは大変に素晴らしいことだと思っています。
そういった中、私という画家が出来ることは、"今"という時代を生きている目の前の京都を、感じたままに自分なりの絵として表現することしかないのだろうと思っています。

そんな京都の絵を「これからフィレンツェに持って行って観て頂いてきます」という主旨(?)で、7月末に京都でも展覧会を行うことになりました。
そしてその後、それらの作品に、現在もまだまだ制作中であるフィレンツェの絵を加えて、9月上旬にフィレンツェで展覧会を開催する予定となっております。
フィレンツェ・京都の両市役所にも、様々にご協力頂いたお陰で、会場はレプブリカ広場の近くのPalagio di Parte Guelfa内の、ブルネレスキ(フィレンツェのシンボルである大ドームの建設者)の造ったサロンを展示スペースとしてご提供頂けることとなりました。
身に余る光栄です。

ところで、イタリアでは去る6月24日は、"サン・ジョバンニの日"の祭日でした。
この聖ジョバンニは、フィレンツェの守護聖人である為、市では花火などが打ち上げられ、お祝いムードに包まれる一日なのだそうです。
それにあわせて今年は、京都市からも市長ご一行が来賓として招かれたそうです。
そんな折、ヨーロッパ最古の由緒ある薬局の一つとして有名であり、現在は自然化粧品や石鹸などを主に扱っている、サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局のフィレンツェ本店・サロン(最近では日本にも出店されています)にて、個展告知の為のミニ・プレ展といった感じで、私の原画を何点か展示して頂いておりました。
その上光栄にも、京都市長の一行がそこへいらして、作品をご鑑賞頂けたということを伺い、とても嬉しく思っております。
可能であれば、ご感想など伺ってみたいものです。

以上、多くの方々のご協力の下、実現の運びとなったフィレンツェでの個展ですので、日本人画家として恥ずかしくない作品を展示し、得難い経験となるよう取り組んでいる真っ最中です。
もっと時間があれば、まだまだ描きたい場所があるのですが・・・またの機会に恵まれることを祈りつつ、日程ぎりぎりまで制作を続けるつもりでいます。

昨年のレカナーティでの個展から、ほぼ一年。
今年もたまたま引き続きの海外個展開催の運びとなっておりますが、日本での展覧会の開催や新作の発表が、決しておろそかにならない様にという戒めも、いつもスタッフ達と話あっていますので、そちらも楽しみにしていて下さい。

貯まりに貯まったご報告を一気にしてしまったので、少々長くなってしまいましたが、最後までお読み頂き、ありがとうございました。
一日一日が矢の様に過ぎるが如く感じる毎日ですが、体力・気力の保持にも充分注意を払っておりますので、なんとか本番まで上手にやっていけるでしょう。
不安定な気候の季節です。
皆様も、気力は常に体力の上にあるということを忘れないように(結構忘れてしまいがちですよね)、どうかお体ご自愛下さい。

笹倉鉄平

2005年06月30日

「食」の話

4月30日現在、個展開催中の四国、高知に来ています。
今回は現地で過ごせる時間的な余裕が珍しく持てましたので、これを書いています。
また、初めて来る土地でもありましたし、昨日は観光名所である土佐山と桂浜を訪ね、地元の山菜料理や新鮮な海の幸を食し、その美味しさに感激しつつ楽しいひと時を過ごしました。

こうして日本各地を訪ねる度に思うのは、地理や気候条件に裏打ちされ、それぞれに歴史的背景を持つ特徴ある食文化が地方ごとにちゃんと存在することと、その豊かさのありがたみです。
そして、本当の"豊かな食"というのは、どういったものだろう?・・・と考えてみますと、結局それは所謂(いわゆる)"ごちそう"の類いではなくて――昔から脈々と続いていて、その地のあらゆるものを育み反映させてきた土地柄豊かな食生活、すなわち「食の個性」を色濃く残すそれなのではないかと思ったりするのです。

先日、発表された版画「キァンティ」も、イタリア中部のトスカーナ地方での、そういった"大地からの恵み(贈り物?)"を日常の風景の中に並べて描いたものでした。
キァンティといえば、かの有名なキァンティ・ワインの生産地帯です。こんな絵を描くのですから、本人はよっぽどワイン好きなんだろうと思われるかもしれませんが、実はアルコールが苦手な私は、普段"飲む"こともほとんど無く、グラス一杯が精一杯なのです(笑)。

この絵には登場していませんが、私はパスタ(スパゲッティ、マカロニなど)の方がよっぽど好物ですので、イタリアでは、長期滞在になったとしてもあまり苦になりません・・・と、申しますか、実は日本のでも中国のでもアジアのでも、麺類全般が大好物だからなのですが。
海外から帰国した直後などは、うどんか蕎麦か(う~ん、お茶漬けも正直悩むところですが)を、とにかく大急ぎで食べるわけです・・・この瞬間は、自分が日本人に生まれたことを心底感謝していたりします(笑)。

さてさて、取りとめも無い"好物話"になってきてしまいましたが、少し戻しまして・・・。

近年、そのトスカーナでは「スローフード」なる言葉をよく目や、耳にします。(日本でも最近は聞きますよね?)
これは、『多くの現代人が知らず知らずのうちに「スピード」に束縛され、本来持っている人間くさい習慣や家庭内のプライバシーまでもが脅かされている状況や、没個性化が進む諸々の動き全般から、人間らしいゆとりある生活を守る為に、まずはそれぞれの食卓から改善を始めましょう』という趣旨の宣言と、それに伴って進められている運動のことを指すらしいです。(詳しく知りたい方は、WEBサイトでも紹介されています。)
そして、「スローフード=ゆっくりと食事をとる」のみに留まらない考え方に基づく運動なのだそうです。
つまり、時間的な効率や経済性を過剰に優先させると、「食」はどんどん均一化されてゆき、その影で個性豊かな郷土料理やその独自の素材などが、徐々に姿を消していっていることへの警鐘的役割を担い、世界規模の「食」の均一化の結果もたらされる、社会生活にも影を落としかねない"没個性"の流れに歯止めをかけることをも目指しているとのこと。

それを知る中でひとつショックだったのは、そういった郷土料理が消えてゆくことによって、その料理に独自に使用されてきた食材としての作物(=植物)まで絶滅に追い込む状況をも生んでしまうということ。
我々の食事情は、"種"の危機にまで及ぶという少し怖い事実。
そして、もしも世界中どこへ行っても、同じ様な料理ばかりになってしまったら・・・。なんて、有りえないとは言い切れないのかもしれません。
それぞれの国に残る、地方色豊かな様々な個性が、食文化のみならず、あらゆる文化や芸術を彩り、長い歴史の中で育まれてきました。
そういった個性や独自性豊かなものは、もっと大切に考えられ、守られるべきである事は自明の理です。

こういった事実を、それぞれがどう受け止めるかは自由なのですが・・・例えば「今日何を食べるか?」という日々の小さな選択。
無意識に行っていることが、いつのまにか要る物・要らない物を"選択している"ことに、遠い先っぽで繋がっている私達の社会。
一人一人のそんな無意識下での選択が、長い目で見ると社会の向かう方向を、微妙に、いつの間にか動かしているのです・・・。

とは言え、あまり大袈裟には受け取らないで下さいね。
もう少し身近な感覚で考えてみますと、つまり・・・食の楽しみとは、同じ食事をとるにしても、"何を食べるか"より"誰と・どんな雰囲気で"といった状況に大きく左右されるものですよね。
子供の頃の遠足で、良い空気と太陽の下で食べたお母さんの手作りおにぎりの味は、何よりも美味しかった・・・そういった事をちゃんと思い出せるうちは、我々は「食」に関して、正しい選択をしていけるのだと思います。
多くの人が、"幸せに食べられる食事の正体"を見失わないうちは、正しい「食」はきっと守られてゆくのだと信じています。

なにやら単純な話をわざわざややこしく話してしまったかもしれませんが・・・要は、「食事は、いい気分で食べるのが美味しい!!」と・・・いうことで。

笹倉鉄平

2005年05月06日

ちょっと“犬”の話を・・・

少々ご無沙汰をしておりました。
何しろ、時間が経つのが速くて、速くて・・・驚いてしまうほどです。

それも、描きたいと思っている絵のイメージが頭の中にたくさんあり過ぎて、手の方が追いつかない状態が続いているせいなのだと思うのです。
私は、一枚の絵にかなり時間をかけるほうなので、自分なりの制作の目標をたてて取り組んでいるのですが、それに遅れずについてゆくことだけで精一杯です。
誰しも経験があるでしょうが、自分で作った目標というのは、ついつい、常に体調も気力も万全の状態を前提として考えてしまう為、日を追うごとにだんだんと厳しくなってしまいがちです。
ですから、当然といえば当然のことではあるのですが・・・。

おっと、いけない。
また堅苦しい話になってしまいそうです。
もう春ですし、今回は少しゆるい話で参りましょう。
頂戴するメールやサイン会等で、とてもよく頂く質問のひとつに、「犬が好きなんですか?」があります。
ゆっくりお話をする時間や機会がほとんど無いので、こちらで詳しいお返事を致しましょう。

「はい、その通り。犬は大好きです。」と、まずはお答えしておきます(笑)。
ついでに言ってしまうと、子供の頃から、犬と言わず猫と言わず動物は何でも好きでした。
動物園に行くのも大好きでしたし、鳥や昆虫も含めていつも興味津々でした。

そんな中で、人の生活に一般的に一番近い距離にあるのが、犬であり猫であると思います。
ですから、当然私の絵にもよくよく登場するわけです。(街の風景を描いていて、当然、象やキリンが出てくるはずはありませんし、犬・猫より更に小さな動物となると、あまりに細かくて登場させてあげられないのです。)
例えば、ヨーロッパの街角で、犬の散歩の多い時間帯などは、私の絵に登場しているよりも、むしろ現実の方が犬の数は多いかもしれません。
よって、作品中の犬の数は、結構リアルな登場比率だと思っています。
そんなこともあるので、私としては、なるべくその現地で本当に出会った犬や猫を描く様にしています。
もちろん、あまりに多くいた場合は、泣く泣く適当に間引きしていますが(笑)、根が好きなものですから、つい"力が入って"しまって、たくさんいる様な印象になってしまうのかもしれません。
そして何より、犬を描くことによって、その周辺の空気がなんとなくほんわりと和む感じが、私自身大好きなのです。

和むと言えば、動物の写真やポストカードを、アトリエの目に付く場所に飾ったりしています。
今のお気に入りは・・・ちょっと困り顔のパグの仔犬のアップ、見るからに"ほっこり"なゴマフアザラシの子供の寝顔、映画「アメリ」に登場していたちょっとひょうきんな犬の絵、一心不乱に眠っている冬眠中のヤマネ、必死で壁にへばりつく猫の後姿などなど。
そして、疲れると見る本には、「LIFE」誌編集の動物の愉快な写真ばかりを集めた写真集、世界各地の犬・猫や動物の図鑑、つぶれ顔の犬ばかり登場する絵本風写真集など・・・様々に用意されています(笑)。

動物を見ていると、生きるという単純かつ重要な事に思いを馳せることが出来、小難しく悩むことより"これでいいじゃない"と寛容に考える余裕を与えられている様に思えるのが、とてもイイのです。

「今、飼っている犬種は?」この質問もよく伺うのですが・・・残念ながら、旅が多く住所不定の様な今の生活ですと、きちんと飼えないので・・・・・・実は、物凄ぉく我慢しています。
春になって、うららかな風景の中を犬と散歩する幸せそうな人の姿を見るのは、かなり目の毒ですね(笑)。

物心ついた頃から、いつも犬がそばにいました(勿論、家の飼い犬です)。
男ばかりの兄弟四人に引き続き五番目の男の子という意味で、ゴロー(五郎)と名づけられた犬を筆頭に、しょっちゅう脱走事件を起こして心配させられたシェパードの(?)ミックス犬、いつも吠えてばかりいた印象のスピッツのナル・・・など、思い出深い犬達でした。
本当は今回このページに載せたかった、そんな犬とのツーショット写真があったのですが、すぐには見つかりませんでした。
ちゃんと探して見つかったら、その内またこのページでご紹介させて頂きます。

三寒四温の気候がまだ暫く続きそうです。皆さん、お風邪などひかれませんよう。
(私は、今のところインフルエンザにもやられず、なんとか元気に創作活動に励んでいます。)

笹倉 鉄平

2005年03月14日

”トリ”と言えば、伊藤若冲

寒い毎日が続いていますが、皆さん、風邪などひかずにお過ごしでしょうか?
つい先日新しい年が明けたばかりだと思っていたら、もう一月も半ばを過ぎようとしています。
この調子で厳しい寒さもさっさと過ぎて、春が駆け足で来てくれたら・・・なんて思ってしまいます(笑)。

さて、今年2005年の干支は「酉」。
「トリ」と聞いて真っ先に頭に浮かんだのが、「伊藤若冲(イトウジャクチュウ)」という画家の描いた鶏の絵です。
江戸時代中期の京都出身の画家で、異能の画家と言われていますが、この人の作品の中でもその異才ぶりを一番強くリアルに感じるのが、一連の"鶏"を描いたものです。
庭にたくさんの鶏を飼い、一年ほど観察だけを続け、その後その絵を次から次へと描き続けたそうです。
普段我々が思う鶏と比べ、若冲の残した"鶏"たちからは、怖いほどの生命の輝きと力が溢れ出していて、一度見たら忘れられない姿で描かれています。
・・・というわけで今回は、以前このページでも触れた「広重」と並ぶ私にとっての"スター"日本画家である、伊藤若冲の話をしてみたいと思います。

"異能の"と名前に付いてしまうのは、生み出した作品の質によるところは勿論なのですが、その経歴にも理由があるのかもしれません。
現在も京都の台所として有名な、錦市場の青物問屋の長男として生まれ、普通なら"八百屋の旦那"として一生を終えるはずだった所が、絵を描くこと以外に全く興味も才も無かった彼は、本業から逃げる様に失踪したりもしつつ、三十路少し前にやっと絵の勉強を始めます。
初めは狩野派に就いて学んでいましたが、しばらく後そこも飛び出し、あとは独学とひたすら対象を観察して描くことで、その"異なる"天賦の才を開花させてゆくことになったのです。

そして、若冲紹介の中で必ずと言う程登場するのが、『動植綵絵』(様々な動・植物が精緻な筆致で描かれている全三十幅の作品群)です。
それらは一言で言えば・・・とにかく「すごいっ!!」に尽きます。
本当に色々な意味で凄いと思います。
技巧的にも、取り上げている対象物にしても、色彩、緻密さ、構図・・・どれをとってもうならされます。
その中に、前述の鶏の絵も出色の出来で存在するのですが、私はその他の作品で、普通その時代の画家達が取り上げなかった、絵のモデルとしては一般的とは言えない対象を描いているものの方が格段に好きです。
個人的には特に、「蓮池遊魚図」と「池辺群虫図」が群をぬいていると思います。
この二枚は、私の中の日本画への概念を覆すような空気をはらんでいて、"渋さ"よりもそこに漂うのはあくまで"楽しさ"だと思えてなりません。
他にも犬好きの人にお薦め(?)の「百犬図」の様な、見ているだけでなんとなく"にへっ"となってしまうような作品もあります。
他にも、型破りな"升目描き"アプローチをした「樹花鳥獣図屏風」(若冲筆かどうか確実ではないらしいが)という意欲作があったり、禅に帰依していた若冲に縁の深かった、京都・相国寺に残る芭蕉図(障壁画として鑑賞出来る)などは、まるで現代の空間デザイナーが手がけたのかなと感じるほど、水墨画でありながらモダンで不思議なな魅力があり、思わずその場で"楽園"にいるかの様な感覚におちいってしまいました。
また、石峰寺に残る五百羅漢の石像(デザイン)などなど、当時の画家としては、なんとも驚くべき斬新な精神が宿る創作が多く残されていて・・・とにかく、"目からウロコ"な作品が多いこと多いこと。

現在、世界最大の若冲コレクションを有するのは、アメリカ人ジョー・プライス氏のコレクションによる、ロサンジェルス郡立美術館内の日本館だそうです。
日本でもっともっと認知されていてもおかしくない若冲作品なのですが、当時から世間の評価としてはそこそこだった作品の数々を、氏は、世の中の声よりも自分の信じる価値観のみを信じてこよなく愛し、集めまくったそうです。

いつの世でも"斬新なもの"や"新しい表現・試み"といった要素を含むものというのは、とかく初めは認められず、また、戸惑いと共に正当な評価を得られず、時間を経て理解されるといったケースが多いように思います。
例えば、印象派のモネやゴッホといった画家たちですら世に出てきた当初は、数少ない理解者はいたのでしょうが、サロン(当時のフランスの権威ある画壇)で物笑いのタネにされ、時間を経てやっと現在の地位を得たというのは、あまりに代表的な例でしょう。
そして、やはり当時の日本では芸術として高い評価を得ていなかった浮世絵や一部の日本画の持つ独自性や斬新さが、海外のアートにも多大な影響を与えてきた様に、今後も日本人としての"独自性・個性"といったようなものが色々な分野で問われることでしょう。

「隣の人と同じでないと不安」といった気風も、日本人独特の美徳へ繋がるものではあるのでしょうけれど、それを上回る独自性や個性を育て、自分を信じる力を磨いていくことも大切なことではないかとも思うのです。
特に若い方々には、こうした文化の素晴らしさに誇りを持って頂き、日本人としての確かなアイデンティティを基盤において、世界へ出て行ってもらえたらなぁ・・・と期待しています。

笹倉 鉄平

2005年01月20日

I wish you happy new year!! -2005-

I wish you happy new year !!
皆様にとってこの一年が良い年でありますように!!

人それぞれに思い描く"良い年"というのは様々でしょうが、少なくとも、平和で心穏やかな年であって欲しいと願うことは、皆共通するところでしょう。
私自身はといえば、思いがけない特別な幸運などは起こらなくてもよいから、今、全力を注いで描きたいと思っている絵に100%集中出来る平凡な毎日ばかりが続くことを、年頭に際してつい願ってしまいます。
というのも、考え込んだり、思い悩んだりする様な事柄が、そんな日々に舞い込んで来ると、どうしても絵の制作に影響が出てしまうからです。
絵を描くということは、私にとっては想像以上に精神的なものなのです。

観る人が、心安らいだり、明るく楽しい気持ちになって頂ける様な"何か"がある絵を描くことが、私に与えられた仕事なのではないかと感じているので、出来る限り「自分の絵」を描く為の精神的エネルギーを補充する以外の事にパワーを使ってしまわない様に、自ら心がけて努めています。
つい気持ちを他に向けてしまいそうになる所を、今はありがたいことにスタッフ達が脇を固めてくれているおかげで、年々そんな環境も整ってきました。
ですから、今年も安心してまた新たな試みにもチャレンジしてゆくことが出来そうです。

皆さんの応援にお応えしてゆけるように、本年もスタッフ共々邁進してゆくつもりですので、このHPをどうかよろしくお願い申し上げます。

と、新年早々、気がつけばまた堅苦しい話になってしまいました。
そんな自分が・・・なんとも…「…っ、残念っ!!」(笑)

2005年 元旦

笹倉 鉄平

2005年01月02日